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長嶋茂雄の伝説語録を一挙公開 『魚へんにブルー』『I live in EDO』笑い泣き必至の名迷言集【前編】

長嶋茂雄の伝説語録を一挙公開 『魚へんにブルー』『I live in EDO』笑い泣き必至の名迷言集【前編】

野球殿堂博物館公式サイトより

“ミスター・ジャイアンツ”長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が肺炎で亡くなったのは、今から1年以上前の2025年6月3日早朝のこと。「わが巨人軍は永久に不滅です」という不世出の名言を遺した男は、グラウンドだけでなく、日常の至るところでも“伝説”を量産し続けた。

「失敗は成功のマザー」「魚へんにブルー」「たけちゃん、誰とゴルフですか?」――笑っていいのか泣いていいのか、いや笑い泣きするしかない「ミスター語録」は今もなお語り継がれている。(2回中の1回)

その愛すべき迷言と天然エピソードを、一挙ご紹介しよう。

■第1章 「ミスターイングリッシュ」誕生の秘密

長嶋茂雄の英語エピソードは、日本の笑いの殿堂に永久保存されるべき宝である。

その中でも最も有名なのが「I live in EDO」だろう。立教大学時代の英語の授業で「I live in Tokyo を過去形にせよ」という問題に、時間ではなく時代をさかのぼらせて「I live in Edo(江戸)」と答えたというエピソード。

文法的には「lived」とすべきところ、過去の東京を「江戸」とした、ある意味で正確な(?)珍回答は今や都市伝説として広く語り継がれている。

また、海外遠征でも「ミスターイングリッシュ」は全開だった。

日刊スポーツによれば、1961年3月、米国ベロビーチキャンプの際、長嶋は地元の子供たちの会話を耳にして「アメリカの子供は英語がうまいね」と周囲に語ったという。言うまでもなく、アメリカの子供が英語を話すのは当然のことである。

さらに、グアムキャンプでも「さすがアメリカ、外車ばかりだ」と感心したとか。グアムは米国領であるため、すべての車が「国産車」なのは当然のこと。だが、長嶋の目には「外車だらけ」に映ったようだ。

ニューヨーク遠征中に寿司屋で「シャコ(蝦蛄)」を注文しようとして、英語が分からず「ガレージ(シャコとGarageをかけた)ふたつ」と言ったという笑い話も有名だ。

タクシーを呼ぼうとして「Please call me taxi」(私をタクシーと呼んでください、という意味になる)と言い放ったエピソードも残っている。

なぜ長嶋の英語はかくも独創的なのか。妻・亜希子さんの経歴が重要な文脈を提供してくれる。亜希子さんはミネソタ州の聖テレサ大学を卒業した英語・フランス語・スペイン語を操るマルチリンガルだった。

長嶋がアメリカかぶれになるのは自然な流れだったが、家庭内での英語の会話があったかどうかの直接的な証言は現時点では確認できていない。ただ、エピソードの一貫性は、長嶋が日常的に英語を意識していたことを十分に示唆している。

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■第2章 「魚へんにブルーですよ」——日本語もミスター流

英語だけではない。長嶋の「日本語」もまた独創的だった。最も有名なのが、「鯖(さば)の漢字は魚へんにブルーですよ」というエピソードだ。

魚へんに「青」と書いて「鯖」と読むが、長嶋の頭の中で「青=ブルー」と瞬時に翻訳されてしまう。このエピソードは、元巨人の“デーブ”こと大久保博元が「自分も長嶋さんから教えてもらった」と複数のメディアで証言しており、信頼性の高いエピソードである。

また、長嶋は「重言(じゅうげん)」の天才でもある。「疲労の疲れ」「体力の力」「秋の秋季キャンプ」「お昼のランチタイム」「状態の良い状態」「大変身はイメージチェンジ」――同じ意味の言葉を重ねてしまう癖は、会話のテンポの速さと情熱の裏返しだったのかもしれない。

引退セレモニーで「永久に不滅です」と言ったのも、「永久」=「不滅」で厳密には重言だが、かえってその力強い響きが名言として刻まれた。

指導の際の擬音語も伝説的だ。打撃を教える際に「パアーッと、ダアーッと、パーン、パッ、サッ、タッ、ブワァー、ヒュッ、キュッ、スパーン、ブン、シュン、ガッといく」と指導する。

言葉の意味を解読できなかった選手も、引退後に「あの意味がようやくわかった」と証言している者がいるほどで、感覚で野球を生きてきた天才ならではの言語体系がそこにあった。

「好きな四字熟語は?」と問われて「長嶋茂雄」と答えたのも、もはや伝説の域だ。自分の名前を四字熟語と捉える発想は、誰も思いつかない長嶋流の答えだった。

配信元: 週刊実話WEB

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