アルコールとドラッグの過剰摂取
「ブライアンの内部でカチカチ時を刻んでいた時限爆弾は、いよいよ爆発の時を迎えてしまった。(中略)。ストーンズの中にあっても、寂しく、孤独で、見るからに悲しそうだった」(ビル・ワイマン)
もはやスタジオやライヴといったバンドの活動もろくに機能せず、散財するだけのブライアン。1969年6月、メンバーは話し合いの末に、ローリング・ストーンズから解雇することを決意。
10万ポンドとストーンズが存続する限り毎年2万ポンド支払うことが条件づけされるが、ブルーズに焦がれて自分が作ったバンドを、ブライアンは全員の合意で遂に解雇されてしまった。
そして1969年7月3日、ブライアンが自宅のプールで溺死しているのが発見される。検死では「アルコールとドラッグの過剰摂取」が原因とされた。享年27。
その2日後、ロンドン中心部に位置するハイド・パークには、全英中から25万人以上もの若者が集まっていた。当初は新メンバーのミック・テイラー(ギター)のお披露目を兼ねたローリング・ストーンズのフリー・コンサートだったが、急遽、ブライアンの追悼コンサートとなった。
改めてブライアンがいた頃のストーンズの演奏に耳を傾けてみる。その印象的な曲の数々には、とてつもない才能を発揮して、あらゆる楽器を弾きこなしながら“色気”と“魂”を注ぐ、ブライアンの姿が蘇ってくる。
「Walking the Dog」のあの声も、「Little Red Rooster」や「No Expectations」のスライドギターも、「Paint It Black」のシタールも、「Lady Jane」のダルシマーも、「Ruby Tuesday」のリコーダーも、「Under My Thumb」のマリンバも、すべてブライアンの魔法のおかげだ。
「今、ストーンズというとミックとキースを思い浮かべる人が多いだろうが、当時は大抵の人はブライアンと答えただろう。彼にはスタイルがあった。彼にかかると“粋”が本当に輝いて見えた。ブライアンは弱くて、悩みを抱え、時には人をうんざりさせたが、彼こそがバンド名を考え、最初にプレイするものを選んだ。僕らはブライアンのバンドで、彼がいなかったら、駆け出しのブルーズ・グループが世界最強のロックンロール・バンドにはなれなかっただろう」(ビル・ワイマン)
文/中野充浩 佐藤剛
編集/TAP the POP
参考・引用文献
『ローリング・ウィズ・ザ・ストーンズ』(ビル・ワイマン著/小学館プロダクション)

