2023年夏、全国高等学校野球選手権大会で「エンジョイ・ベースボール」をスローガンに掲げる慶應義塾高等学校が107年ぶりに優勝した。そんな同校野球部のメンバーに「今日まで本当の意味でエンジョイしていなかった」と言わしめた野球プロジェクトがある。2021年から始まった特別支援学校の生徒たちが甲子園出場を目指す「甲子園夢プロジェクト」だ。
同プロジェクトに参加していた都立青鳥特別支援学校が、2023年夏、東京で初めて甲子園大会の予選に出場。さらに、2025年春には参加者のひとりが甲子園よりも先にプロ入団を果たすという快挙も達成した。「できない」という社会の先入観を打破し続ける、このプロジェクトの2代目代表・玉川大学教育学部教育学科の、阿部隆行准教授に話を聞いた。
なぜ甲子園を目指すことさえできないのか?
甲子園夢プロジェクトの代表を務める玉川大学教育学部教育学科の阿部隆行准教授「甲子園夢プロジェクト(以下、夢プロ)」は、特別支援学校に通う知的障がいのある生徒たちに硬式野球をする機会をつくり、甲子園を目指すことを目的に2021年にスタートしたプロジェクトだ。「甲子園」は夏の全国高等学校野球選手権大会と、春の選抜高等学校野球大会(以下、いずれも「甲子園」)のことだが、実はこれまで特別支援学校に通う知的障がいのある生徒たちは、そもそも硬式野球をする機会が少なく、甲子園を目指す以前の状態だった。
「特別支援学校には硬式野球をやるという文化がありませんでした。硬式野球は危ないというイメージがあり、怪我をするような危険なスポーツは障がいのある子たちには向いてないという判断もあったのでしょう。また、制度上、学校の硬式野球部として高野連に登録しなければ甲子園の予選にも出場できません。ですから特別支援学校に通う生徒たちは、どれだけ望んでも、甲子園を目指すどころか、硬式野球をすることさえできない状況が長く続いていました」(阿部氏、以下同)
同プロジェクトは、東京都立青鳥特別支援学校の主任教諭・久保田浩司氏が、硬式野球をやりたい特別支援学校に通う子どもを集めるプロジェクト発足の記者会見を行い、それが新聞に掲載されたことからスタート。プロジェクト発足から遡ること15年ほど前、久保田氏と阿部氏はそれぞれ別の特別支援学校でソフトボールを指導していたが、特に久保田氏が監督を務めるチームは特別支援学校の中では敵無しと言われるほど強く、健常者のソフトボールチームと練習試合をすることもあったという。障がいのあるなしにかかわらず、一緒にスポーツを楽しむ子どもたちの姿を目にした久保田氏は「これくらいのレベルならば、硬式野球もできるのではないか」「もしかしたら全国に硬式野球をやりたいと思っている子どもがたくさんいるのではないか」と考えたのだ。
甲子園出場の前にプロ野球選手を輩出
2024年に読売ジャイアンツ球場で行われた「読売ジャイアンツ×甲子園夢プロジェクト コラボ練習会」プロジェクトが発足して第1回の練習会に集まった参加者は11名。その後も、協力してくれる高校や大学を探し、グラウンドやバットやボールといった道具も借りて、その学校のチームと合同練習をするなどの活動を継続。6年目を迎えた現在はメンバーは約50名にまで増え、関東だけでなく、東海や関西地区などさまざまな学校で合同練習会を開催できるまでになった。しかし、この夢プロは高校の野球部ではないため、このメンバーで甲子園を目指すことは出来ない。
「彼らが甲子園を目指す方法はいくつかあります。たとえば彼らが通っている学校に硬式野球部を作って、高野連に登録する。部員がたった1人でもそういう人数が少ない学校で合同チームを作れば甲子園を目指すことは可能です」
県大会出場第1号の林龍之介選手実際にこの方法で、プロジェクトの2年目には愛知から参加していた特別支援学校の生徒が県大会に出場した。以降、東京都、大阪府、静岡県、沖縄県などで夢プロから巣立った選手たちが甲子園予選出場を果たしてきた。さらに、2025年春には夢プロジェクトの参加者の工藤琉人選手が独立リーグ・北海道フロンティアリーグのKAMIKAWA・士別サムライブレイズに入団。なんと甲子園出場の夢を叶える前にプロ野球選手を輩出したのだ。
「彼は通っている特別支援学校に野球部がないため陸上部に所属していましたが、ずっと硬式野球がやりたいと、独立リーグのトライアウト試験を受けてプロ野球選手になりました。もしかしたら彼のような逸材が、全国にまだ埋もれているかもしれません。そう思うと、夢プロをやっていく意味があるのかなと思います。子どもたちが特別支援学校に通っているというだけで、硬式野球ができない、甲子園を目指せない、ましてプロ野球選手なんて無理、というふうに諦めてしまう社会は、すごく嫌だなと思うんです」
障がいがあるから無理と最初から諦めるのではなく、やりたいと思ったら誰でも挑戦できる、そんな社会を目指して夢プロは活動を続けている。
