フライングVのギターを首からさげて、ビョウのリストバンドをしたロッカーが、高らかにライスを掲げる……。それが唯一無二のヘヴィメタルな飲食店『高円寺メタルめし』の目印だ。
北欧カフェというよりも北欧メタルな飲食店。

ざわついた繁華街を抜け、住宅街へ続く路地に入る。赤い出窓に青い壁。北欧デザインの食器が並ぶ小さな飲食店の中へ。リヨンやオスロ辺りの洒落たビストロみたいだ。カウンターの向こう側で微笑むシェフにオススメを尋ねた。
「そうですね。『イング米マルメステーキ』や『ブラックサバ酢』はいかがです?」
なるほど。
目を凝らせばカワイイ店内の壁画はオジー・オズボーンやスレイヤーだった。耳をすませば、店内で流れるのはメタリカの『バッテリー』やアイアン・メイデンの『明日なき戦い』だったりするし。
洒落たパリのビストロでも北欧カフェでもない。笑顔が抜群のオーナーシェフ・ヤスナリオさんがひとりで切り盛りするのは、日本で唯一、世界でも稀なヘヴィメタルをコンセプトにした飲食店。その名も『高円寺メタルめし』だ。
「なんて店名だと『ヘヴィメタルの定義って何なの?』って話になったりするんです。僕には明確な答えがある。『BURRN!』(老舗ヘヴィメタル専門誌)に載った音楽がメタルです」と笑いつつヤスナリオさんは言葉をつなげた。
「そんなメタルに関するくだらない話を美味しい料理を味わってもらいつつとことんできる。間違いなく僕が一番、この店で楽しんでいますね。好きなものしかない」
NWOBHMもデスも、一途な「メタル優等生」。
ヤスナリオさんは1972年札幌生まれ。だから80年代、世界中でヘヴィメタルが人気だった頃に多感な中学生だった。重いビートの洗礼に、どっぷり浸かった。
「最初はジャパニーズ・メタルでした。札幌はサーベルタイガーという伝説的バンドがいた影響もあってメタルが盛んな街。僕はアンセムってバンドが好きでしたね」
そこからずっと「メタル優等生」だ。中学を通してサッカー部の仲間とバンドを組み、自身はベースを担当した。高校に入るとメガデスやメタリカといったスラッシュ・メタルに傾き、バンドも継続。札幌の大学に進学してからは当時流行っていたミスター・ビッグのヒット曲をコピーする。大学を出たあとはヘルメットのようなオルタナティブ・メタルも好んだ。
「思えば時代にあわせスクスクとメタルを聴き、演奏してました」
一方で社会人としては凹凸があった。新卒で入った会社が大声で社員を叱責するような営業会社。すぐ辞めてフリーターになった。
「ブラックメタル(北欧のヘヴィメタルの一種)ならともかく、ブラック企業は好みじゃなかった」
バンドでオリジナルをプレイするようになり、「できればそれでプロに」と淡い夢を見ていたことも退職のはずみになった。清掃員のバイトをしながらベースを弾く日々。ただ長く重いビートを刻むうち、年月も長く刻まれていた。
「まだブラブラしてるなら……」
東京の叔父が自ら営む表具店に誘ってくれた。当時30歳手前。メタル愛は変わらなかったが、バンドで芽は出ぬままだった。
「だから即快諾を。東京に行けばライブもたくさん観られますし」
実際、上京後、札幌では観られないバンドを観られた。一方で、ふすまや屏風を直す表具職人の仕事もフィットした。幸か不幸か世の中に「和室」が減るばかり。さほど忙しくないのも好みだった。
「時間があるので、東京でもしっかりバンドができた。ただ……」
途中、バンドよりハマったものがあった。料理だ。
