
アメリカのカリフォルニア大学(UC)などで行われた研究によって、細菌の集団が飢えを経験したあとに、仲間の一部を外へ「脱出ポッド」のように打ち出していることが分かりました。
環境の悪化から生き延び、新天地を探すため生存戦略と考えられています。
また興味深いことに発射装置の正体が「納豆のネバネバの主成分(γ-PGA)」と同じものであることが示されています。
納豆のネバネバ成分がどうして、射出装置として機能できたのでしょうか?
研究内容の詳細は2026年7月7日に『Nature Microbiology』にて発表されました。
目次
- 100年間の思い込み
- 細菌たちは脱出ポッドを打ち出し生き残ろうとする
- 脱出ポッドの射出装置がクラゲの針にも仕込まれている
100年間の思い込み

排水口を洗剤で流したのに、数日たつと、またぬるりとした感触が戻ってくる。
そんな経験は、どなたにもあるのではないでしょうか。
あのぬめりの正体は、細菌たちが建てた集団住宅です。バイオフィルムと呼ばれています。
細菌は一匹だけだと、驚くほど弱い生き物です。
ところが仲間と一か所に集まると、自分たちのまわりに粘着質の壁を吐き出し、その内側に立てこもります。
川底の石のぬるり、歯を磨き忘れた朝の歯のざらつき、そして排水口のぬめり。
どれも同じ、細菌の要塞です。
厄介なのは、この壁が抗生物質すら跳ね返すことです。
傷口や体内の医療器具に一度この要塞が居座ると、薬を投げこんでも奥まで届かず、感染が何か月も、ときには何年も続いてしまうと考えられています。
では、この要塞はどうやって終わるのでしょうか。
細菌の集団が研究されるようになって、100年あまり、その終わり方は主に「壁が溶けて、散る」という方式だと思われていました。
餌がなくなると、細菌は自分の壁を溶かす道具を出し壁が崩て住人たちはバラバラに漂い出すと考えられていました。
要塞の終わりが「壁が溶けること」なら、調べるべきは壁の材料と、それを溶かす道具です。
100年のあいだ、研究者たちの視線はそこに集まりつづけました。
しかし同じような「ネバネバ」の中で、見逃されているものがありました。
それが、納豆のネバネバ「γ-PGA」です。
こちらは同じネバネバでも、細菌たちを守る壁にはならず、壁を溶かす道具にもなりません。
では、何のために作っているのか。
これが、さっぱり分かっていませんでした。
納豆のネバネバとして多くの人が知りながら、バイオフィルムの中での用途は不明だったのです。
というのも、誰も要塞が終わるその瞬間を、ちゃんと見たことがなかったのです。
理由は、観察の難しさにありました。
要塞まるごとを顕微鏡の視野に入れようとすれば、細菌の一匹一匹はただの点になります。
細胞が出ていったことは分かっても、出ていったのが誰で、どこから湧いてきたのかは分かりません。
かといって一匹ずつ見分けられるまで寄れば、写るのは要塞のごく一部だけです。
しかもそこまで寄れるのは、細胞が数百個しかいない小さな集まりを、短い時間だけ覗くときに限られていました。
要塞が終わりを迎えるのは、ケシ粒より小さな塊の中に住人が100万を超えるまで育ちきった、何日もあとのことです。
観察はそのずっと手前で打ち切られていました。
引けばぼやけ、寄れば見逃してしまうのです。
そこで今回、研究者たちは「広く、細かく見る」を両立することにしました。
細菌たちは脱出ポッドを打ち出し生き残ろうとする

チームが持ち出したのは、もっと良いカメラではありませんでした。
低い天井です。
高さは6マイクロメートルしかなく、この部屋の中では細菌が縦に10段しか積めません。
こうすると中身がほぼ平面になるので、引きの画角のまま、100万を超える住人を一匹ずつ見分けられるようになります。
住人には納豆菌の親戚である枯草菌(こそうきん)を選びました。
そうしておいて、まず約30時間かけて要塞をしっかり育て上げました。
次に、わざと飢えさせ、もう一度栄養を戻します。
こうすることで、要塞からの放出を促しました。
(※直後の全滅を避けるため放出は環境が最悪を過ぎた次の瞬間に起こることが知られています)
研究者たちが期待していたのは、教科書どおりの光景でした。
壁がゆるみ、建物が崩れ、住人が漂い出していくその一部始終を、史上はじめてはっきりした映像で記録できるはずでした。
ところが要塞は、溶けませんでした。
代わりに、誰も予想しなかったことが起きます。
丸い要塞の、ほんの一か所にぽっかりと穴が開き、そこから細胞が流れ出しはじめたのです。
そして要塞の残りは、何ごともなかったような顔で、そのままの形を保っていました。
研究を率いたスエル教授はこの光景を宇宙船の「脱出ポッド」に例えています。
実際、出ていったものと残ったものには大きな違いがありました。

要塞の中にいる細菌は、同じ種でも、育つ過程で大きく2種類に分かれることが知られています。
ひとつは、壁を作る細胞(マトリックス細胞)でその場に留まりつづけます。
もうひとつは、泳げる細胞(運動性細胞)で体のあちこちから、船のスクリューのような毛が生えた、いわば旅支度をすませた姿です。
研究者たちが調べたところ、流れ出していたのは、ほとんどが泳げる細胞でした。
一見すると、泳げる細胞が自発的に壁を突き破って逃げ出していったようにも思えます。
ところが研究者たちが遺伝子操作で、スクリューだけを生えてこないようにしても、この「旅支度の姿」になった細胞たちは変わらず飛び出しました。
泳ぐ道具を奪われても、彼らは外へ出ていったのです。
つまり彼らは、自分の意思で旅立ったのではなく、何かが外側から、彼らを押し出していたことになります。
では、仕組みは何だったのでしょうか。
鍵は、旅支度をすませた細胞たちの、もう一つの顔でした。
彼らはスクリューを回すだけでは壁になく、壁にならないほうのネバネバ、つまり納豆の糸を、せっせと吐き出していたのです。
しかも調べてみると、細胞が流れ出しているその場所でとりわけ強く、糸の設計図が読み上げられていました。
なぜ、出ていく者たちが、そんなものを作っているのでしょうか。
答えは紙おむつにあります。
水をかけると、みるみる重くなってぶよぶよにふくらみます。
細長いものが絡み合って網目を作り、そこへ水がどっと入りこむからです。
納豆の糸も、まったく同じことをします。
その吸水力は、自分の重さの1000倍にもなると言われています。
では、それが要塞の内側で起きたらどうなるでしょう。
細胞がぎゅうぎゅうに詰まった、逃げ場のない場所です。
そこで糸が水を吸い、ふくらみつづけると、彼らは外へ、外へと追いやられ、やがて壁を内側から突き破るっていたのです。
研究チームこの仕組みが本当であることを確かめるため、2とおりのやり方で無力化してみせました。
1つ目は糸の設計図をまるごと消す方法です。
そうしておいて、同じように飢えさせてみました。
結果は、穴も開かず要塞はただそこに在りつづけました。
2つ目は、糸から水だけを奪いました。
糖アルコールという物質を溶かしこみ、糸が思うように水を吸えないようにしたのです。
結果は、同じで穴が開くことはありませんでした。
糸があっても、水がなければ何も起きない。糸がなければ、水があっても何も起きない。
彼らを押し出していたのは生き物の力ではなく、水と、それを吸う糸だけが生む、ただの物理の力だったのです。

