熊本地震で大きな被害を受けた熊本県八代市にあって、球磨川の船着き場だった袋町の一帯は古くから栄えた地域だ。その中で、平安時代に創建されたと伝えられる医王寺はひときわ歴史を感じさせる。
高野山真言宗の札所として親しまれ、手足の病気やケガの快癒を祈願する「足手荒神」として信仰を集めてきた。その名刹にも地震は容赦なかった。本堂は潰れ、文化財の数々も危機に瀕していた。
「寺を再開できるかわからない」国の重要文化財の仏像が…
医王寺が現在の場所に再建されたのは寛文5(1665)年と伝えられ、本堂は市指定有形文化財、本尊の木造薬師如来立像は国が明治39(1906)年に国の重要文化財に指定され、他にも県指定重要文化財の木造聖観世音菩薩立像などがある。住職の有田盛芳さん(77)が取材に答えてくれた。
「私が寺に入ったのは大学を出てすぐのことでしたからもう50年以上前の話です。ちょうどその頃じいさんの具合が悪くなったので、それで寺に入ったんです。
御覧の通り本堂もこの壊れ方ですし、中に入れないから確認できないけどご本尊もたぶん壊れているでしょう。ここまで被害がひどいと寺を再開できるかもわからないです。できたとしても10年かかるか、15年かかるか。
ウチは檀家さんが12軒ぐらいしかないし、その檀家さんも地震の被害にやられているし、少額じゃ(復旧も)話にならない壊れ方をしてますから。家屋も崩壊しているので今日はそっちの片付けをやっていたんです」
深刻極まりない状況だが、有田さんは目を細めて笑っている。深刻な被害を語りながらも、たびたび笑顔を見せた。境内左手にある薬師堂には国の重要文化財であるの木造薬師如来立像が安置されていたという。
「家も倒壊していて家の中のどこかに薬師堂の鍵があるんだけど、今手元に鍵がないから入れない。でもご本尊は倒れていると思います。ここには聖観世音菩薩立像もあって、おそらくこちらも落下して壊れてしまっていると思います。地震が起きて私自身も倒壊した家の中から這い出したのですが、すぐに心配で薬師堂を見に来たらもうすべて倒れていた」
「なぜか私たちがいた場所だけに空間が残った」家族3人が倒壊家屋から脱出
薬師堂右斜め前に位置する自宅部分も、屋根が家を押し潰して乗っかっているように見える。有田さんが地震発生の状況を説明してくれた。
「この潰れた部分に空間が見えると思うんですけど、地震があった時はここで妻と娘と過ごしていました。居間にあたる部分です。午後4時半くらいでしたかね。いきなりガタガタガタと揺れ始め、縦にも横にも揺れだしたので『危ないよ』と二人に声をかけた途端にミシミシミシ、ブワーって感じで家が横に傾いて、ガシャンと屋根が落ちてきたんです。
屋根が落ちてきてこの有様で、ここの空間に私は座っているような状態で、妻と娘は倒れていたけど『大丈夫ばい』と話をする余裕もありました。そうこうしていると近所の人が見に来てくれて『大丈夫ですかー?』って声をかけてくれて。それで物をちょっとどかして、そこから私も妻と娘と一緒に出てきました。
中には10分くらいいたんですかね。なぜか私たちのいたあたりだけが支えられていたというか。誰も大けがをしなかったというのは、不幸中の幸いです」
九死に一生を得た体験だったはずなのだが、有田さんは時折笑みを浮かべながら当時の状況を振り返った。やはり目を細めながらのんびりした内容の話でもするかのように恐怖体験を語る。怪我はなかったかと尋ねる。
「妻も娘も怪我もなく、私も腕にあざができていたのと足に少し傷ができたくらいで。多分上から降ってきた物に当たったのか、柱に当たったのか、もうそこだけは記憶にないんです」

