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高市政権の国会運営はなぜ「史上最低」と酷評されたのか…大島理森元衆院議長が語る30年以上続く日本政治の迷走

高市政権の国会運営はなぜ「史上最低」と酷評されたのか…大島理森元衆院議長が語る30年以上続く日本政治の迷走

海部政権を支えた小沢一郎、始まる政界再編

「私は第二次海部改造内閣で1年8ヶ月間、官邸で仕事させていただき、週に2~3回は党の小沢幹事長のところへ行って指導を仰ぎました。簡単にいえば、幹事長の怒られ役です。

国内では政治改革を迫られ、世界では湾岸戦争が勃発し、日米構造協議の真っただ中でした。そこで私自身、小沢先生に鍛えられた一人でした。大変勉強をさせていただきました。海部総理の誕生については非常に感慨深いものがあります。そこから少なくとも平成の中頃までは、小沢政局が続いていたといえるでしょう」

大島はそう振り返った。竹下派内では海部政権に反対する動きもあり、小沢のライバルである橋本龍太郎を総裁に推す声もあった。だが、竹下派のオーナーといわれた金丸信が反対した結果、海部にお鉢が回ってきたという説もある。

本連載で書いてきたように、竹下派七奉行の橋本グループと袂を分かった小沢は、日本新党党首の細川護熙を担いで非自民の8党会派による連立政権を樹立した。細川、羽田孜と首相の顔をすげ替えながら自民党に対抗した。

だが、ほどなく自民の反撃に遭い、まさしく自民対非自民の勢力争いが激化した。

1994年6月に村山富市首相の自社さ政権が樹立されると、96年1月から自民党の橋本龍太郎が首相を射止め、98年7月の小渕恵三、2000年11月の森喜朗と首相が目まぐるしく入れ替わる。

小沢はこの間、村山の首班指名を巡って海部を自民党から離党させ、政権奪還を目指した。いうまでもなく海部は大島にとって同じ派閥の先輩議員にあたる。しかし実のところ大島の所属していた河本派は海部政権の誕生に反対した。

「村山内閣の成立したとき、海部先生が小沢先生と組んで党を割って出ました。このときすでに河本先生は病床に臥せっておられましてね。夕方の6時ごろでした。私と(河本派の)高村正彦先生が病院に呼ばれ、『高村君、君は海部さんのところへ行って、自民党から出るのをやめろと言ってこい』とベッドから命じるのです。

『海部君に電話したけれど、ぜんぜん出ない。大島君は情報を集めろ』と。私の地元でも、大島が海部といっしょに離党するんじゃないか、という話まで出ていて心配していたと聞きました。あのときの親父さん(河本)の姿を忘れられません。

政治の世界にif〈もしも〉はありませんけれど、あのとき河本先生が病床でなかったら、状況が違ったかもしれません。結局、海部先生を引き戻すことなんてできませんでした」

大島自身は90年代に環境庁長官や文部大臣・科学技術庁長官などを歴任し、小渕政権の1999年10月に衆議院の議院運営委員長に就任する。このとき自民党は小沢が旗揚げした自由党を媒介として、自自公の連立政権としてスタートした。

大島はここから自民党国対委員長を2度経験し、野党相手に「握りの大島」と呼ばれるまでの大物国対族議員として鳴らすようになる。それだけに与野党のパイプも太かった。小沢について大島はこう評す。

海部政権が開いた「連立時代」は今も続く

「小沢先生は政治、国会改革の信念をお持ちでした。いろんな批判もあり、私にもそれはありましたけれど、政治を動かす行動力はたいしたものです。小渕内閣で小沢先生の自由党と自民の自自連立が成立しましたけれど、 野中広務先生に『魔と手を握ってでもやる』と言わせたくらい。

その後、自民党が民主党に政権を渡した谷垣禎一総裁時代に私は党の幹事長を拝命して民主党の小沢先生と対峙しました。人生の宿命というか、時代の巡り合わせといえばいいのでしょうか、さまざまな思いが巡ります」

大島は小沢一郎に対して一定のリスペクトを示す。が、小沢自身は年齢のせいもあるのだろうが、90年代に政界再編を仕掛けたかつての神通力を失っている。反面、現在は小沢のような存在感のある政治家がいなくなったのもたしかだ。

小選挙区制になって自民党内も派閥が勢力を争う必要もなくなった。善悪はおき、政治家がそうした権力闘争の場で成長した面も否めない。大島が指摘する。

「一言で申し上げますと、冷戦終息後、共産主義や社会主義に対する国民の皆さんの選択としてのイエスが消えました。その代わりに面白いところに一票を入れてみようとなりました。それに対してポピュリズム批判もありますが、事実として国民の選択の幅が広くなったといえます。

それがいわゆる価値観の多様化であり、結果として海部内閣以来、政治の世界で明確な単独政権が成り立たなくなったのです。自民党単独政権は橋本内閣のほんのわずかの期間しかなく、基本的に連立政権の時代が訪れました。

社会党が選挙に勝って土井たか子さんが『山が動いた』と名言を残しましたけれど、マドンナブームのような状況が今にいたるまでずっと続いているのです。

しかし、皮肉にも野党の諸君はそのあと連立を組んでまで戦う覚悟を持てなかった。そこに今の悲劇があります。自民党は党内でいくら喧嘩していても、大人の政党として最後は我慢します。我慢、忍耐を繰り返しながら組織を守っていく。

人間の業をどうやって整理、整頓しながら世の中を安定させるか、そのうえで物事を前へ進めるのが政治の仕事です。そこでは現場の経験値が生きてくる。そこが野党と自民党の違いでしょう」

大島はこうも言う。

「よく政治テーマになる対立軸がなくなったと言われますが、探せばあるはずです。核の問題もあれば、世界経済、外交、安保……。今度のG7サミットを見ていると、フランスのマクロンはすごい。G7への出席を嫌がっていたトランプを参加させて、イランとの停戦合意にまでまとめていった。

今はかつてのようなG7やG8ではない。反グローバル世紀におけるアイデンティティを確立する戦いが始まっています。そのなかで日本はどう外交を展開するのか。これ一つとっても政治には大きな役割があるでしょう」

日本政界は1990年以降、すっかり様変わりしたが、ある意味、それも必然といえる。そこにどう対処できるか、政治家の力量が問われている。(敬称略)

取材・文/森功

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