不安症、アルコール依存症と診断されたお笑いコンビ・スーパーマラドーナの武智正剛さん。仕事がない苦しさから大量の酒を飲むようになった過去、そして上沼恵美子さんへの不適切発言をめぐる騒動を機に届いた「2万件の誹謗中傷」、大量の酒をあおり、意識を失うまで飲み続けた壮絶な日々を赤裸々に語った。(前後編の前編)
苦しさから解放されたくて飲んでいた
2003年、田中一彦さんとお笑いコンビ「マラドーナ」を結成した武智さん。一度は解散を経験するも、2008年に「スーパーマラドーナ」として再始動すると、その才能は次第に花開いていった。
2011年には「NHK上方漫才コンテスト」で優勝。2015年からは4年連続で『M-1グランプリ』決勝進出を果たし、全国区の実力派漫才師として、その名が知られるようになった。
だが、漫才師として着実に階段を上っていく一方で、武智さんの日常は少しずつ崩れていく。原因は、酒だった。本人も気づかぬうちに、アルコール依存症は深刻さを増していた。
──現在は禁酒生活を続けられていますが、もともとはかなりお酒を飲まれていたそうですね。
武智(以下同) そうですね。本格的にお酒を飲み始めたのは芸人になったばかりの若手の頃です。
当時、劇場でライブが終わってもひとりだけ楽屋に残っていれば、先輩から「暇なんか?」って声を掛けてもらえるんですよ。そうやって先輩と飲みに行くようになって、お酒も覚えていきました。
──そこから酒量はどのように増えていったのでしょうか?
大きく変わったのは2013年頃からです。すでに結婚して子どもも生まれていたのに、芸人としての月収は7000円だけだったりして。「それでもなんとか家族を養わなあかん」というプレッシャーがずっとありました。
関西の賞レースで優勝して一度は仕事も増えたんですけど、それがまた減っていく。すると、時間だけが余るんですよ。それからは夜10時くらいから朝まで、家でひとりで飲み続ける生活でした。
飲むのはとにかく安くて量が多い酒。紙パックの大きいやつとかね(笑)。お酒を楽しんでいたというより「苦しさから解放されたくて飲んでいる」という感覚でした。
仕事がない芸人って精神的にもかなりきついんですよ。そこに家族を養わないといけない重圧もあって、その頃から酒量がどんどん増えていったんです。
上沼恵美子さんへの不適切発言がきっかけに
──その頃、ご自身では「アルコール依存症かもしれない」という自覚は?
全然なかったですね。飲む量が増えても「酒に強くなったな」くらいにしか思ってなかったです。
──では、そのまま依存症一直線に……?
いえ、お酒より大事なものができた時期があったんですよ。というのも、一度休止していた『M-1グランプリ』が2015年に復活したでしょう。
そのときに「これは飲んでる場合ちゃうわ」って。そこからは、お酒なんてそっちのけでした。漫才のことしか考えてなかったですね。
それから4年連続で決勝まで行けるようになって、「もっと上を目指したい」という気持ちだけで走っていました。だから、その頃は酒を飲む時間もかなり減っていましたね。
── 一度はお酒から離れられていたのですね。
ただ、その生活は長くは続きませんでした。2018年の『M-1』決勝のあと、僕が不祥事を起こしてしまったんです。
インスタグラムのライブ配信で『M-1』の審査員だった上沼恵美子さんについて不適切な発言をしてしまって……。全国どころか、世界中から2万件くらいの誹謗中傷のメッセージが来ました。DMには殺害予告まで届きました。
よくなかったのは、それらをすべて読んでしまったこと。そこから、心の状態がおかしくなったというか。
昼間は普通に仕事できるんです。でも、日が沈んで暗くなってくると、めちゃくちゃ不安になるんですよ。すごくそわそわするんです。誰かにずっと監視されているような感覚というか。
それを紛らわせるために、また大量のお酒を飲むようになっていきました。
かつては仕事がない虚無感から目をそらすために飲んでいたけど、この頃から、得体の知れない不安から逃げるために飲むって感じでした。
飲む量もペースも以前より1.5~2倍ぐらい。1時間で10杯近く飲んでいました。酔うためじゃない。早く意識をなくしたかった。
それでも酔えないんです。不安が勝つから。だから、気絶するまで飲んでいました。
──かなり危険な状態だったのですね。
一番ひどいときは、週3、4回は酔っ払ったまま風呂で寝ていました。もし浴槽が広ければ、溺れて死んでいたかもしれない。本当に危なかったですね。

