パラバドミントンの女子SL3シングルスで世界ランキング1位の河合紫乃。パラフェンシングからの転向後、2025年8月のペルー国際で海外初遠征にして圧巻の優勝。2026年2月の世界選手権も制し、一躍ロサンゼルス2028パラリンピックの金メダル候補に躍り出た。超大型“新人”として世界の頂点へ猛スピードで駆け上がる彼女を突き動かすものとは――。
河合 紫乃(かわい・しの)|パラバドミントン
1992年富山県生まれ。法政大学卒業後、S/Jリーグ選手として活動。ケガの手術後遺症で車いす生活に。パラフェンシングで東京2020パラリンピックを目指すも出場を逃す。その後、壊死した左脚を切断し、パラバドミントンに転向。2026年2月の世界選手権で初出場初優勝を飾った。愛知・名古屋2026アジアパラ競技大会、そしてロサンゼルス2028パラリンピックで金メダルを目指す。セイリン所属。
左脚切断後、3ヵ月で走った
バドミントンの実業団選手だった河合。そのことから、「最初からパラフェンシングではなくパラバドミントンにすればよかったのに」「結果を出して当然」と言われることもあるというが、それは違うと言葉に力を込める。
河合紫乃(以下、河合): 血流障害で壊死が進行していた左脚を2024年7月に切断しました。医師からはまひが残っている股関節から切断することをすすめられたのですが、股関節は残しました。手術前にパラフェンシングからパラバドミントンの立位クラスへの転向を決めていて、義足を使うなら太ももが残っていた方がいいと思ったのです。歩けなくなるかも、とも言われたのですが、訓練次第で股関節を動かせるようになるかもしれない、その可能性にかけてみたい、という気持ちもありました。
でも、切断後も股関節はロックがかかったように動きませんでした。かつて受けた手術で股関節を動かすための腸腰筋が取り除かれていたことも影響していたと思います。義足で歩こうとしてもバランスを崩して転んでしまうため、リハビリ用の平行棒の中からなかなか抜け出せませんでした。
そんな私に寄り添ってくれたのが、鉄道弘済会の義肢装具士であり、スポーツ用義足のパイオニアでもある臼井二美男さんです。臼井さんは、左の脇腹あたりの筋肉を使って義足を動かすことを提案してくれました。それから義足で歩く練習を繰り返したことで、3ヵ月後には走れるようになったのですが、これは驚異的なスピードだそうです。実は幼い頃から体を動かすのが得意で、たいていの動きはすぐに再現できるタイプだからと自負しています。とはいえ、ここからさらにバドミントンができるようになるまでは、本当に大変でした。ですから、バドミントンをしていた人ならだれでも、義足になって1年ぐらいで競技に復帰できるかといえば、決してそんなことはないのでは、と思っています。
車いすでプレーするパラフェンシングを経て、再びバドミントンの舞台へ挑む 義足も健足も満身創痍
河合の努力のすさまじさは、義足の故障やケガにも表れている。
河合: 競技をする上では、「義足に血が通っている」と思えるぐらい義足と自分が一体化するに越したことはありません。でも、左脚やお尻は少しずつ小さくなっていて、競技中もサイズが変わります。そのため、義足に違和感を抱くことがあるのですが、まひして感覚がないので、なにがどう違うかはうまく説明できません。臼井さんが「どう?」と聞いてくれても、「わかりません。でもなんか違う」としか答えられないのですが、そんなやり取りを繰り返しながら競技用の義足の改良を重ね、この1年間で3回作り替えました。競技用義足はなかなかお高いのですが、動きが激しいからか先日も足部がバキッと折れてしまいました。
義足が壊れるぐらいなので、(健足の)右脚にもそれなりに負担がかかっていると思います。実際、この1年間で両脚合わせた脚の肉離れは10回、疲労骨折は5回しました。本来なら休むべきところかもしれませんが、私は昔からちょっとしたケガでは休まないタイプなんです。痛ければ痛いなりにプレーすればいいわけですから。まわりからは「ちょっとおかしい」とは言われますけどね。
パラバドミントンの世界ランキングは、大会に出場して得られるポイント数で決まるので、休んでいられないという事情もあります。これはパラフェンシングで得た教訓でもあります。パラフェンシングでは、競技の開始時期やタイミングの関係でポイント数がなかなか稼げなかったこともあり、世界ランキングを上げられず、結果、リオパラリンピックと東京パラリンピックの出場を逃しました。その悔しさを知っているからこそ、今がんばれていますし、パラフェンシングに取り組んだことは無駄ではなかったと改めて思います。
やるからには本気で。ロサンゼルスで表彰台の一番高い場所を目指す