「加害国」としての立場から戦争を描いた宮崎駿
戦争によって罪のない多くの一般市民が犠牲になったことを描いた『火垂るの墓』ですが、日本が戦争加害国だったことに触れていない点を指摘する声もあります。日本軍はアジア太平洋各地へと侵攻し、清太や節子のような戦災孤児たちを各地で生み出しています。
そうした日本の加害国としての立場から戦争を描いたのが、宮崎駿監督の『風立ちぬ』(2013年)でした。零戦の開発者として知られる堀越二郎の半生と堀辰雄の小説をモチーフに、「美しい飛行機をつくる」という夢を追い続ける主人公の姿を描いています。
東京帝国大学で飛行機の設計学を学んだ二郎(CV:庵野秀明)は、理想の飛行機づくりに情熱を注ぎます。開発した技術が戦争に利用されることを理解した上で、研究に没頭します。妻となる菜穂子や周囲の人たちの支えもあって、二郎はついに零戦を完成させるのでした。
二郎は戦争を好んではいませんが、かなりエゴイスティックな性格として描かれています。病気療養中の菜穂子が横になっている部屋で、二郎はタバコを吸おうとします。また、菜穂子との恋愛で燃え上がる情熱さえも、飛行機開発に生かそうとしているように感じます。
高い性能を誇り、機能美にあふれた零戦を生み出した二郎ですが、その結果は「一機も戻ってこなかった」という苦々しいものでした。
科学者や技術者たちに問われる責任
戦争史に残る名機として記憶される零戦は多大な戦果を挙げましたが、その戦果の影で大勢の命が散っています。太平洋戦争末期には特攻機として使われ、多くの若者たちの未来を奪うことにもなりました。
クリストファー・ノーラン監督の実写映画『オッペンハイマー』(2023年)では、物理学者のオッペンハイマー博士が米軍の要請を受け、原子力爆弾を開発する過程が描かれています。人類史上初となる核実験「トリニティ」を成功させた際に、オッペンハイマー博士は「我は死神、世界の破壊者なり」と呟いたと言われています。
軍人や政治家だけでなく、科学者や技術者たちも戦争に大きく関わっていることが、『風立ちぬ』と『オッペンハイマー』では描かれているわけです。
スタジオジブリの二大巨匠である高畑監督と宮崎監督は、さまざまな作品を生み出してきましたが、『火垂るの墓』はリアリズム描写が際立ち、『風立ちぬ』は夢を追うことのエゴイズムが強く打ち出されています。戦争のとらえ方やアプローチの仕方が、高畑監督と宮崎監督では大きく異なることが分かります。
この夏、戦争の犠牲者となった子供たちの視点から描いた高畑監督と、戦争に協力した大人の視点から描いた宮崎監督の作品を続けて見ることで、戦争というものを多角的に考えるきっかけになるかもしれません。
