わずか数十年で失われた橋。1700年後の調査で見えてきたもの
これほどの大工事で造られたコンスタンティヌス橋ですが、その役割は長く続きませんでした。
4世紀後半になると、ローマ帝国の北方国境では周辺勢力による侵入が相次ぐようになります。便利な橋を残しておけば、逆に敵がドナウ川を渡って帝国内へ進む経路として利用する恐れがありました。そのため、橋の木造部分は焼かれたとされ、巨大橋は建設から数十年ほどで使われなくなったとみられています。
その後、遺構は長い年月をかけて水流や自然の力に削られ、現在では川底に基礎などが残るのみとなりました。遺構の一部については、航路整備や船舶の運航に伴う作業によって失われた可能性も指摘されています。
今回撮影された写真やデータは今後、詳しく分析される予定です。橋脚の構造を調べることで、これまで研究者が抱えてきた疑問を解く手がかりも得られると期待されています。パヴェル・ポポフ氏は今回の調査を、実際の環境で遺構を観察し、記録できる稀有な機会だと説明しています。
1700年近く前、人々や物資が行き交ったドナウ川の巨大橋。猛暑と水位低下という現代の異常な状況が、はるか昔のローマ帝国の技術を改めて知る機会をもたらしました。
参照
Pleven Municipality「They filmed the foundations of the Constantine Bridge at Ulpia Oescus」
Bulgarian Telegraph Agency「A team of the Regional History Museum in Pleven documented the remains of the Constantine Bridge near the ancient town of Ulpia Escus near the village of Gigen」

