絶好調の最中での離脱だった。米大リーグ・レッドソックスが8月16日(現地時間)、吉田正尚外野手(33)を10日間の負傷者リスト(IL)に入れたと発表し、日米のファンに衝撃が走っている。
だが、こうした"好事魔多し"の巡り合わせは、実は在米日本人選手たちの間で繰り返されてきた既視感のあるパターンでもあるのだ。
「左太もも裏の張り」自ら交代要求
「発端は15日(現地時間)、敵地ピッツバーグのPNCパークで行われたパイレーツ戦だった。吉田は第2打席で右翼線への二塁打を放ったが、二塁ベースに到達する直前で左太もも裏に違和感を覚え、自ら交代を申し出たと伝えられている」(スポーツジャーナリスト)
試合後、球団は負傷部位について「左太もも裏の張り」と説明したが、具体的な損傷の程度やMRIなどの検査結果については公表されていない(8月17日現在)。吉田は8月に入ってから打率3割2分6厘、1本塁打、8打点と当たりに当たっており、チームの快進撃を打線から支えていたとされるだけに、このタイミングでの離脱は痛手と言えそうだ。
シーズン全体でも87試合に出場して打率2割7分4厘、5本塁打、28打点と、メジャー4年目にしてキャリアハイの可能性を秘めていた矢先の一報だった。
44号本塁打の直後に訪れた大谷の悲劇
"好調期の離脱"といえば、真っ先に思い出されるのが2023年8月の大谷翔平だ。ダブルヘッダー第1試合でリーグ単独トップとなる44号本塁打を放った直後、投手としてわずか2回途中で緊急降板。右肘内側側副靭帯損傷が判明し、投手としてその年の残り試合を全て絶たれる結果となった。
本塁打王のタイトルすら視界に入っていた渦中での急転直下は、当時大きな衝撃をもって報じられた。
