2026年、あいかわらず日本公開の劇場作品は活況を呈しています。特に映画では『名探偵コナン ハイウェイの堕天使』『トイ・ストーリー5』『ズートピア2』などの作品が次々と興収100億円を突破する状況で、『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』も記事執筆時点で90億円を越え、100億円は目前といったところにあります。
また、この先には『魔法少女まどか☆マギカ』シリーズの新作、『ゴジラ-0.0』といった話題作も控え、これらも大ヒットを記録する可能性があるでしょう。
一方で、日本のテレビアニメに目を向けると「露悪系」と囁かれる作品群が注目を集めています。
文字通り「露悪的」な内容が衝撃的なシロモノであるわけですが、これらは単に下品だったり低俗だったりする内容で注目を集めようとしているというよりは、やはりある種の時代性の産物であると見たほうが適当であるように思われます。
こういった現在のエンタメの最前線にある作品群をひと通り見、読んだうえで、それらから読み取れる時代のキーワードをひとつ選ぶなら、それは「受容」ではないでしょうか。
ライター:海燕
ジャンル横断エンタメライター。主にマンガ・アニメ・ゲーム・映画を題材に、読者が感じる違和感や評価の分かれ目を言葉にする記事を執筆。最近の仕事は『このマンガがすごい!2025』CLAMP特集、マルハン東日本「ヲトナ基地」連載など。X:@kaien
『ヤニねこ』などのほぼ純粋な「露悪系」のみならず、『ちいかわ』や『チェンソーマン』といった作品においてもこのテーマは見て取れ、いま時代は「過酷な現実をいかに受容するか」というテーマを巡って展開している、そんな気がしています。
とはいえ、はたしてそれを「諦念(あきらめ)」とみなして批判的に捉えるべきか、「成熟」と見て肯定的に受け止めるべきかは微妙なところです。おそらく『ちいかわ』や『ヤニねこ』あたりをどう評価するかということは、現代におけるアニメーション批評の根幹を為すテーマだと言えるでしょう。
きわめて興味深い話ですが、今回はそこに深入りすることはやめておきたいと思います。良くも悪くも「受容」というテーマは、現代という時代を語るときに1つの視点を提供してくれる、そのくらいに留めておきましょう。
世界が突きつけてくるある種の残酷さに対する、静かな受容の姿勢――しかし、いまから20年前、2006年に始まった『コードギアス』シリーズは、それとは真逆と言っていい1つの価値観を提示していました。
つまり、過酷にして無惨な世界に対する「反逆」です。
“いま”を「受容」するのではなく「変革」した『コードギアス』という物語
『コードギアス』シリーズは、一貫して理不尽な世界や社会に対する抵抗と反乱のストーリーです。『反逆のルルーシュ』の主人公であるルルーシュ・ランペルージは、いまや世界の過半を支配するに至ったブリタニア帝国を統べる父に対し、謎めいた絶対遵守の力〈ギアス〉を唯一の武器として立ち向かいます。
そこにあったものは、世界が不条理であるのなら力ずくでもそれを変えなければならないという、一歩まちがえばテロリズムにも通じかねないような思想でした。実際、ルルーシュはブリタニアを打倒するため、〈黒の騎士団〉なる抵抗集団を組織し、既存の支配秩序に挑戦していく中で、膨大な犠牲を出していくことになります。
ルルーシュがどのくらい正しかったのかは、わからないとしか言いようがないでしょう。ともかく、彼は混乱した世界に対し、たった1人で反逆と革命の戦いを起こし、その結果として世界にひとときの平和をもたらしました。
テレビシリーズのクライマックスで、ルルーシュは「きのう」でも「きょう」でもなく「あした」を望むのだ、という意味のことを語っています。「停滞」よりも「変化」を希望する彼の考えが端的に表れている発言です。ルルーシュにとって、さまざまな理不尽に満ちた社会は決して受け入れるべきものではなく、どんなに犠牲を出してでも改革するべきものだったのです。
そして、シリーズ最初のテレビシリーズである『反逆のルルーシュ』から20年が経った今、2026年に地上波で放送されている『奪還のロゼ』も、やはり旧北海道の一帯を支配し、強大な権力を誇る集団〈ネオ・ブリタニア〉に対するレジスタンスたちの戦いを描いています。

