栃木県鹿沼市の東武日光線・新鹿沼駅構内の上り線で、特急「スペーシアX2号」が除草作業にあたっていた男性作業員4人に接触し4人全員が死亡した事故で、犠牲者の一人の兄が取材に「見張りがちゃんとしてたら事故なんか起きない」と悲痛な胸中を語った。自身もかつて東武鉄道の線路周辺の作業に従事したことがあるという兄は、列車がそばを通り過ぎる場所での仕事は「おっかない」と話し、仲が良かった弟の死を悔しがった。
「納得できない」亡くなった2人の作業員と暮らしていた兄
事故では、東武鉄道が除草業務を発注した元請けの東武建設(栃木県日光市)の社員1人と、同社からさらに発注を受けた孫請けのX建設から現場に送り込まれた3人の作業員が亡くなった。
このX建設関係の3人のうち、宇都宮市に住んでいたAさん(65)の兄、Bさん(74)が思いを話した。
事故翌日の21日夜、集英社オンラインがAさんとBさんの兄弟が一緒に暮らしていたマンションの一室を訪ねると、Bさんは当初「どうしょうもない。弟は死んじゃってんだから。話すことはない」と、最初は話すことを拒んだ。だが「(弟の死を)納得できるわけねえだろう」とやり場のない感情を記者にぶつけたのを機に、ぽつりぽつりと弟の記憶を話し始めた。
「うちは、俺が22歳の時に父ちゃんが56歳で亡くなった。弟は小さい時に父ちゃんがいなくなったんだ。姉ちゃんも母ちゃんもいたけど、今は亡くなり、親戚は縁遠いので兄弟2人でやってきたんだ。弟は兄思いで、俺のことを『兄貴』と呼んで、ケンカなんかしたことなかった」(Bさん、以下同)
Aさんは事故現場に近い今市(現日光市)で生まれ、県内の高校を卒業した後、兄とともに長年建設関係の仕事をしてきたという。
「弟もおれも、土建関係ならいろんな仕事をやったよ。なんでもやった。それこそ線路の除草も。だから弟が線路上の作業に不慣れな素人だということではない。この何年かはX建設に働きに出て東武建設の仕事の下請けに入ることが多くて、週に5日は出ていたし、忙しくて頼まれれば土曜日にもよく出勤していたよ」
実は、今回の事故で亡くなったもう一人のX建設関係の作業員Cさん(57)も、AさんBさん兄弟と同じ集合住宅のワンルームで暮らし、毎日Aさんの車で一緒にX建設に言われる現場へ働きに行っていたという。
「C君は同郷で小さい時から知っていて、仲がいいので一緒に暮らしていたんだ。弟とC君は毎日、朝ご飯を食べて弁当を自分たちでつくり、5時か5時半には家を出ていった。夜は俺がごはんを炊いて待っていて、2人が帰ってきておかずをつくり、いつも3人で夕食を一緒に食べていたんだ」
兄の生活を支えてきた弟
Bさんは長年力仕事を続けた末に両膝を痛めて昨年手術し、今年6月には心臓の不調も見つかったために今は働きに出られない体だ。
そして事故があった20日も、AさんとCさんは朝5時ごろに「仕事行ってくる」と言って元気に出かけて行ったという。事故はその約6時間後の午前10時46分ごろに起きた。
「あの日おれは事故のことを知らず、用事があって午後1時ごろに弟に電話したんだ。そうしたらつながらないので『おかしいな』と思っていたら、弟が事故で死んだって知り合いが電話してきてくれたんだ。
車で迎えに来てもらって鹿沼警察署へ行って、遺体確認をさせられたよ。最近は遺体を直接見せると倒れてしまう遺族がいるから遺体の写真を見せるそうで、弟の写真を見せられたよ」
東武鉄道の説明では事故当時、現場には東武建設の社員2人とX建設から送られた5人の他、警備会社2社から来た見張り3人の計10人がいた。
東武日光方向から新鹿沼駅に近づいた列車は、上りホームの手前にある、使われていない旧ホームのそばで4人に接触している。その現場から約80メートル手前には「列車見張り員」が、同315メートル手前の踏切には「中継見張り員」が、それぞれ一人ずつ配置されていた。
このうち中継見張り員は、「(列車見張り員との)意思疎通が取れない状態にあった」と事故後にと東武鉄道の聞き取りに対して供述。さらに列車運転士の話では、中継見張り員のそばを通り過ぎて現場まで約215メートルの地点に差し掛かった時に、より現場に近い位置にいる列車見張り員から、進入可能を意味する「列車接近了解合図」が手旗で送られたという。
この合図は現場の線路上にいた4人の退避完了を確認しなければ発出されないものだったが、実際には4人は退避をできていなかった。時速約52キロで駅構内に入った列車の運転士は直近で4人に気づいて非常ブレーキを作動させたが間に合わなかったという。

