1942年創業、ヨーロッパ本場の味を伝えた「チョコレートショップ」の代表作「博多の石畳」/人気店の定番スイーツ vol.52

博多の有名店「チョコレートショップ」の「博多の石畳」。一口サイズの生チョコレートが石畳のように敷き詰められています。全体にほろ苦いココアパウダーがまぶされ、やさしいミルクチョコレート味とマッチしています

長年愛される「定番」スイーツ紹介の連載、第52回は、福岡で1942年創業の名店「チョコレートショップ」の代表作「博多の石畳」を紹介します。バレンタインやホワイトデーのギフトにはもちろん、1年を通じて愛されるロングセラー。この菓子をモチーフにした進化版も登場しています。

“博多のチョコのはじまりどころ”、「1942年創業」の意味とは?

「チョコレートショップ」創業者の佐野源作氏は1902年生まれ。東京の旧帝国ホテルで見習いコックとして働く中で、ロシア革命で亡命していたロシアの料理人が作ってくれたトリュフチョコレートに感動。チョコレートの本場へと憧れを募らせ、数年後に渡欧。現地で腕を磨き、帰国して博多で出会った妻・富美子さんと共に、1939年にチョコレート専門店を開業しました。

しかし、世界大戦の影が忍び寄る時代。外国語の使用が禁止され、「チョコレート」の文字を看板に掲げることは出来ませんでした。そしてついに1942年、徴兵令状の「赤紙」が届きます。「生きて還って来られたら、チョコレートショップという名で店を再開しよう」と夫妻で誓いを立てた日を、源作氏は、敢えて「創業」の時と定めたそうです。

そんな荒波を乗り越え、1945年の終戦で、源作氏は無事に帰還。晴れて「チョコレートショップ」の看板を掲げて商売を再開しました。



1956年生まれの2代目・佐野隆氏は、幼い頃から店を手伝ってきましたが、実家を継ぐことを拒み、一度は家を飛び出したそうです。しかし、就職した神戸「ドンク」で、父の名が当時のドンクの社長をはじめ、東京の業界人の間でも有名だったことを知ります。

父を超えるチョコレートを創りたいとスイスへ。実家に戻り、共に働く父のチョコレートの奥深さに改めて気づかされつつ、技術の鍛錬と研究に明け暮れます。1980年代にはチョコレートも飛ぶように売れ始め、まさに日本を代表する“チョコレートショップ”となり、世代を超えて多くのファンに愛されているのです。

3代目の佐野恵美子氏も又、チョコレート職人を志して渡欧し、2017年にショコラトリー「LES TROIS CHOCOLATS(レ・トロワ・ショコラ)」をパリにオープン。現在は福岡にも店舗があり、3代に渡る職人達のストーリーが胸に迫ります。

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ヨーロッパ伝統の「石畳」のチョコレート

店を代表する「博多の石畳」は、カカオの豊かな香りとなめらかな口どけを楽しめる、一口サイズの生チョコレート。ヨーロッパの石畳の道を思わせ、「パヴェ=石畳」と呼ばれるこのタイプのチョコレートは、元々、スイス発祥と言われます。現地で学んだ佐野源作氏だからこそ、いち早く採り入れることができたのですね。



煉瓦のような形に四角くカットされたガナッシュには、上面だけでなく全体にほろ苦いココアパウダーがまぶされ、やさしいミルクチョコレート味とマッチしています。

そんな人気の「博多の石畳」を進化させたチョコレート菓子も生まれています。

「ひとくち石畳」は、なめらかな生チョコレートの中に、さらにふわふわの生クリームをたっぷり包み込んだ、とろけるような食感の一口菓子です。ピンク色のストロベリー版もあります。



生菓子にアレンジした「博多の石畳(ケーキ)」もあり、口に含むとスッととける生チョコレートの繊細さを、チョコレートムースやスポンジを重ねた5層で表現。ごく薄いチョコレートでコーティングして形を保っているデリケートなお菓子です。



いずれも冷凍でお取り寄せ可能で、食べたい時に解凍していただくことができます。寒い季節には温かい紅茶などと共に。夏場には半解凍で食べ始め、ひんやりした口当たりを楽しむのもお勧めです。80年を超えるお店の壮大な歴史を思いながら味わいたいですね。

博多の石畳/チョコレートショップ

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