半日断食を行っている今、振り返ると、戦中・戦後に空腹を感じたことは、その後の私の体を強くすることに役立ったのではないか、と思っています。まさに「人間万事塞翁が馬」。何が幸いするかわかりません。「食べ過ぎない」食事を心がけることで、内臓を休ませ、同時に塩分や糖分の摂取量も減らすことができます。【解説】玉那覇康高(断食道場「百寿会」会長・薬剤師)

解説者のプロフィール

玉那覇康高(たまなは・やすたか)

1926年、沖縄県生まれ。当時の琉球列島米国民政府の大学特別入試に合格し、現在の東京薬科大学に入学、薬剤師免許を取得。1957年に「玉ナハ薬局」を開業するも、故・西勝造氏が創始した「西式健康法」に出合い感銘を受ける。その後は西式健康法と断食の普及に尽力し、断食道場「百寿会」を主宰。道場は1990年に一度たたんだものの、92歳で28年ぶりに再開。今なお会長として断食指導を続けている。著書に『半日断食で病気知らず薬いらず』(マキノ出版)。

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血圧や血糖値は基準値内で階段も苦もなく上れる

現在95歳の私は、しばしば「驚くほど元気なご長寿」として、雑誌や新聞で紹介されます。

実際、半世紀以上カゼひとつひかず、薬もいっさい飲んでいません。血圧や血糖値、コレステロール値なども基準値内。頭もしっかり働きますし、足腰も丈夫です。3階までの階段の上り下りも苦になりません。

こうして健康が保てている秘訣は、私が55年以上にわたり1日2食の「半日断食」を続けていることにあります。

私は大正15年(1926年)に沖縄県那覇市で生まれました。小学生のときには県の健康優良児大会に出場するほど健康そのものでした。

ところが、太平洋戦争のさなかの18歳のとき、大腸感染症である赤痢に罹患。骨と皮のようにやせてしまいました。しかし、この赤痢のおかげで、私は兵役を免れました。疎開先で飢えに苦しんだものの、生き延びることができたのです。

戦後、私は薬剤師になり、30歳で薬局を開業。薬を販売していましたが、しだいに現代医学と薬学の無力さを感じるようになりました。そんなあるとき、たまたま書店で、「西式健康法」の本を手にしたのです。

現代では、「栄養をしっかりとること」が重視されます。しかし西式健康法では、独自の運動法に加え、玄米や生野菜などを中心とした少食や断食を勧めています。それにより、働き過ぎていた内臓が休まり、自然治癒力が回復、病気を根本的に治せる、と考えるのです。

感銘を受けた私は、すぐに東京に出向き、研修を受講。断食も経験しました。効果を感じた私は、薬局も続けながら、西式の考えをもとにした断食道場を開くことにしたのです。

そして、自分自身も半日断食を行うようになりました。断食道場は、一時閉鎖をしたものの、92歳のときに28年ぶりに再開し、現在も続けています。

半日断食を行っている今、振り返ると、戦中・戦後に空腹を感じたことは、その後の私の体を強くすることに役立ったのではないか、と思っています。まさに「人間万事塞翁が馬」。何が幸いするかわかりません。