この事件を受け、Xでは障がい者家族の孤立や、ワンオペでケアを担うことの限界を指摘する声が広がった。背景には、「自分がいなくなったあと、この子はどうなるのか」という将来への不安もある。実際、日本財団の調査では、障がい者の「親なきあと」に不安を感じる家族は8割以上にのぼり、重度知的障がいの場合は9割を超えるなど、多くの家庭が将来への不安を抱えている。
愛知県在住の中野真一郎さん(61歳)は、7年前に看護師だった妻(享年54歳)をがんで亡くして以来、自閉症の息子を一人で育ててきた。突然の喪失とともに直面したのは、「これから二人でどうやって生活していくのか」という現実だった。
子どもの将来を見据えながら、社会の中で孤立せずに障がい者を育てるには何が必要なのか。中野さんの歩みを通して、その実態を追った。

◆不妊治療の末に授かった息子は診断の結果…
――息子さんの自閉症がわかったのは、いつ頃ですか。中野真一郎(以下、中野):結婚後、長い不妊治療の末に息子を授かりました。ただ、保育園に入る頃になっても言葉が出なくて、強いこだわりもあったので、「これは一度きちんと見てもらったほうがいい」と思い、診断を受けることに。最初は療育手帳B判定(中度〜軽度)だったんですが、2回目以降は再判定を受けてもA判定(重度)のままになっています。
成長するにつれて、言われていることは7割くらい理解できるようになりましたが、自分から言葉を発することが難しい。そのあたりが評価に影響しているようです。どうしても判定は「言葉でのコミュニケーションができるか」が大きな基準になってしまうので。
◆看護師の妻を襲った突然のがん宣告

中野:当時、私はホテルに勤務し、妻は看護師として働いていました。朝、私が息子をスクールバスに乗せて出勤し、息子は学校のあと放課後等デイサービスへ。妻が先に帰宅して受け入れる、という生活でした。
それが2018年12月、妻の勤務先のヘルパーさんから「黄疸が出ているから、すぐ診察を受けて」と言われて病院へ行くことになり、私も急きょ仕事を休みました。翌日にはそのまま入院です。
医師からは「がんが胆管から肝臓に広がっていて手術はできない。抗がん剤が効いたとしても余命は半年、何もしなければ3か月」と告げられました。
その言葉を聞いて、これは本当にまずい状況なんだと現実が押し寄せてきて……。セカンドオピニオンを求めて一人でがんセンターにも行きましたが、結果は同じでした。帰り道、どうやって運転して帰ったのか覚えていないくらい、ショックを受けていました。
――急変した日常に、息子さんはどのような様子でしたか。
中野:状況がうまく理解できていない様子でしたね。病室で母親の姿を見ると、ベッドに潜り込んだり、手を引っ張って「帰ろうよ」と促したりして。そこで「お母さんはいま病気で、しばらく帰れないんだよ」と伝えると、渋々ながら帰る、という感じでした。
でも、だんだん病院に行けば会えることがわかってきたのか、次第に病院に行くのを楽しみにするようになりました。

