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「私がいなくなったら…」重度自閉症の息子を遺し逝った妻。父が独りで向き合う「親なきあと」の絶望と希望

「私がいなくなったら…」重度自閉症の息子を遺し逝った妻。父が独りで向き合う「親なきあと」の絶望と希望

◆生活は激変…福祉サービスを駆使する日々

――奥様が不在になられて、生活はどのように変わりましたか。

中野:もう毎日が綱渡りでした。放課後等デイサービスを2か所、日中一時支援を2か所、合計4か所の福祉サービスを使って、「こっちが空いていなければあっち」というふうに、何とかやりくりしていました。

利用回数は障がいの区分ごとに決まっていて、受給者証に基づいて管理する必要があるのですが、それまでは妻がすべてやっていたので、最初は仕組み自体がまったくわからなくて。利用回数を計算して翌月の予定を組み、自分の仕事のシフトとすり合わせる、その繰り返しです。

慣れないうちはミスも多くて、送迎を頼んだつもりで手配できていなかったり、休みの日に利用を止めるのを忘れてしまったり……。

妻が手術を受けるときは立ち会いも必要でしたが、開始時間が遅れると、息子が帰ってくる時間に間に合わない。病院に息子の事情を伝えて、手術が終わる前に病院を出て、迎えに行かざるを得ないこともありました。

――入院生活が続くなかで、奥様はご自身の最期も見据えた準備をされていたのでしょうか。

中野:妻は訪問看護の仕事で、患者さんの最期を数多く見てきた人でした。なので、自分が亡くなったあと、息子が成長の節目で寂しさを感じたときに、少しでも支えになるものを残したいという思いがあったようです。入院当初から「ビデオレターを撮っておきたい」と話していました。

ただ、私はすぐには受け入れられなくて。撮るとなると現実を突きつけられるようで、心の準備ができなかったんです。妻も「まだ先でいいよ」と言っていましたが、いよいよ最期が見えてきて、緩和ケアに入ったタイミングで撮影することになりました。

18歳の誕生日までと、小学校卒業・中学入学・中学卒業・高校入学・高校卒業、それぞれの節目に向けたメッセージ計13本を、2回に分けて撮りました。

1回目はまだ声も出ていたのですが、2回目のときは体力的にもかなり厳しくて、声もほとんど出ない状態で……。その姿を見ながら撮影するのは本当に辛くて、「もっと元気なうちに撮っておけばよかった」と後悔しました。

そして、最後のビデオレターを撮り終えた2日後、妻は亡くなりました。

◆母が遺したビデオレターを観た息子は…

中野真一郎
――奥様が亡くなられたとき、息子さんはどのような様子でしたか。

中野:朝5時ごろ、病院から「脈拍が弱くなってきた」と連絡があり、息子を起こして一緒に向かいました。

病室には、妻と関わりのあったNPOの方々や、息子が通っていた療育園の園長先生も駆けつけていて、落ち着いていられない息子の相手をしてくれていました。いよいよというときに息子も病室に入り、最後は妻の手を握って、見送ることができました。

亡くなったあと、私は医師と話をするために病室を離れたのですが、あとでその場にいた方から「息子さんが窓を開けようと必死になっていた」と聞きました。「お母さんの魂が出ていく道を開けてあげようとしていたんじゃないかな」と言われて……。息子なりに何かを感じ取っていたのかもしれません。

息子が母にもう会えないと心から実感したのだと感じたのは、妻の死後、数日してからのことです。息子が学校に行っている間に、妻の部屋に簡単な祭壇を作ったのですが、帰宅してそれを見た息子が、その後、寝るまで嗚咽していて。小学4年生の子どもがあそこまで嗚咽するのは、なかなかないことだと思いました。

中野真一郎
ビデオメッセージを観て息子さんが初めて泣いた時の様子
その後も毎年、息子の誕生日に妻が残したビデオレターを一緒に観ていますが、2年前に初めて涙を流したことがありました。それまでは真剣に観てはいましたが泣いたことはなくて。体とともに心も成長しているんだなと実感しました。


配信元: 日刊SPA!

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