◆「拒絶」を接点とみなす背景には幼少期の体験が
――ところで、守屋さんが相手の女性に対して粘着するのはどうしてでしょうか。守屋:根底には、「自分のことをわかってほしい」という思いがあるのだと思います。これは現在、さまざまな場所でお話させていただくのですが、ストーカーにとっては、相手とどんな形でもかかわることが必要なんですね。一般的に強い拒否の言葉である「嫌い」「死ね」などの言葉でも、ストーカーにとっては相手と接点を持てたことで救いになるんです。当時の自分も、そうした考え方だったと思います。
――そうした考えた方になる原因として、「見捨てられ不安」を守屋さんは挙げていますよね。
守屋:そうですね。これは私の幼少期の体験ですが、「母親から見捨てられるのではないか」という不安が常にありました。私の母は強迫性障害に罹患しており、ヒステリックな人でした。0か100かという極端な思考回路の持ち主で、今考えると境界性人格障害だったのではないかと思います。
たとえば、激昂すると、祖母(親父の母親)の位牌を折って原付バイクのかごに放るような人です。ほかにも生命に対する慈しみの気持ちが感じられない人で、父親の知人に譲り受けた猫を持ち帰ったらそれに激怒し、私の目の前で濁流の川に猫を流したこともあります。その光景は、今も私の目に焼き付いています。私は寝ているときに何度も首を締められたことがありますし、母から地元の川を指して「流してやるからな」と言われたこともあります。そうした経験から、「いつか捨てられるのではないか」という恐怖を抱えた幼少期だったと思います。
◆対人関係の構築に苦しんだ人生
――ご自身もまた、発達において特性を抱えておられた。守屋:そうだと思います。小さい頃から落ち着きがなく、不注意な面が多く、問題児の部類だったと思います。また、大人になってから、「ADHDの傾向性が高い」と診断を受けました。
――社会生活において、ご自身の特性を自覚する場面がありましたか。
守屋:対人関係が上手に構築できないんですよね。正社員やアルバイトを含めて、20〜30回は転職をしていると思います。
――もともとの特性に加えて、生育歴における強い不安感があることで、相手の考えを推し量ることが難しかったわけですか。
守屋:俯瞰してみると、そうだったかもしれません。たとえば、30歳くらいのときに勤めた職場では、こんなことがありました。職場の先輩で、7つくらい上のシングルマザーの方がいました。明るく、今思えば誰にでも隔てなく優しい女性でしたが、私は交友関係が狭かったんです。クリスマスに淋しくしている私を気遣って彼女が食事に誘ってくれたことも手伝って、私は彼女に好意を伝えました。
しかし、結果は「年下は全然興味ない」というつれない返事でした。普通はここで終わりなのだと思いますが、私は彼女にますます執着してきました。電話をがんがんかける、親戚を装って電話帳で電話番号を手に入れ、探偵に依頼して住所を割り出す……などです。
結局、話し合いの最後に彼女が発した言葉でこれまでの好意が怒りに変わり、女性に殴りかかってしまったんです。そのとき、刃物を持っていたので、銃刀法違反で逮捕されることになりました。

