◆ベンチでの仕事が認められ、出場数が増加
真摯に取り組むなかで、野村から一度だけ褒められたエピソードがある。ヤクルトでは当時、同一チームとの3連戦の初戦が終わった際、気づいた点があれば首脳陣に報告しておく習慣があった。
橋上は特定のチームと対戦した際、三塁コーチャーのサインの出し方において、盗塁とヒットエンドランの明確な違いに気づいた。その内容を首脳陣に伝え、実際にヒットエンドランのサインが出た際、ベンチからキャッチャーの古田敦也にウエストボールの指示を送って、二塁ベース付近でランナーをアウトにしたのだ。
試合終了後、橋上は野村から相手チームのクセや動きを見抜くのが好きなのかと問われ、「試合に出場していないときには相手の動きを観察するのも仕事だと思っています」と返答すると、「そうか。それはいいことだ」と称賛された。
この出来事が野村からの信頼へと繋がり、以降、野村は橋上に試合出場のチャンスを与える機会が増えた。さらに野村が楽天の監督に就任して1年が経った2007年には、橋上をヘッドコーチに据えている。
◆野村との出会いがなければ、野球に携わっていない
橋上が野村の下で学んだのは、ID野球と呼ばれるデータに基づいた戦略や論理的な技術面だけではない。人生観や仕事観についても新鮮な気持ちで向き合っていた。野村自身の「知らないよりは知っておいたほうがいい」というスタンスに基づいたミーティングは、人間教育の場であった。橋上はお金では買えない大きな財産になったと振り返る。
「それまでの首脳陣とのミーティングでは、サインやフォーメーションの確認をすることは当然のようにありましたが、人を育てていくうえで考えていくべきことを説かれたことは一度もなかったんです。それだけに野村さんのミーティングは新鮮に感じて、毎回ホワイトボードに書き込んだ内容をノートに書き写していました」
今でもふとしたときに、野村氏の教えが書かれたノートを読む。当時教わったことで忘れていた部分を見直し、指導のバイブルにしているのだ。
「野村さんとの出会いがなければ、引退後は野球とはまったく関係のない世界で仕事をしていたと思います。野村さんの野球を学んだことが、今の私の礎を作ったことは間違いありません」

