◆とても真似できない「天性の直観力」
橋上は原の采配を間近に見ていて、野村とは違うすごさを感じた。それが「直観力の鋭さ」である。ある試合で巨人が1点リードしていた終盤、相手チームの先頭打者が出塁して無死一塁という場面を迎えた。巨人の投手が初球ボール、2球目ストライクとなったとき、ベンチの原がバッテリーコーチに、当時キャッチャーであった阿部慎之助へ「外せ」のサインを送るよう指示を出した。
だが、3球目を投げても相手ベンチに動く気配はない。2ボール1ストライクとなり、次は勝負かと思われたが、続けて原は「外せ」のサインを出した。ここで外したら3ボールになり、カウントが悪くなる。
だが、相手は予測に反し、次のカウントで一塁ランナーが盗塁を敢行。巨人バッテリーはサイン通りあらかじめウエストしていたため、二塁の手前で楽々アウトに仕留めた。
なぜ2球続けて「外せ」のサインを送ることができたのか、橋上が不思議に思って原に直接質問すると、このような答えが返ってきた。
「普通ならば1ボール1ストライクから1球外したら、打者有利のカウントになるから、次のボールは『必ず勝負してくる』と相手ベンチは考える。だからこそ2球続けて外したんだ」
原の持つ直感力は「決断力」とも表現できるが、幾多の修羅場をくぐり抜けてきた経験が身につけさせたものだと、橋上は分析していた。
仮に野村であれば「なぜ2球外すのか」という明確な理由を求めてくる。理由がなければ作戦ではなく「ヤマ勘」だと言われて一蹴されてしまうからだ。
だが、原は違う。理論でも理屈でもなく直感で動く。ひらめいたときには高い確率で的中させていたため、その才能については天性のものとしか言いようがないと橋上は分析していた。
◆“両極端な2人”の下での経験は大きな財産に
楽天時代、野村の下でヘッドコーチを務めていたとき、「オレには原の采配が理解できない」というボヤキをよく耳にした。これは2人の野球観の違い、すなわち野球人として生まれ育った環境の違いだと、橋上は考えていた。原は高校1年生の夏を皮切りに甲子園に4回出場。大学進学後は全日本の4番を務め、ドラフト1位で巨人に入団して中心選手として活躍する。引退後も巨人の監督を17年間務めて実績を重ねた、いわばエリート街道を歩んできた好例だ。
一方の野村は、無名の府立高校からテスト生として南海に入団した。数々の記録を作り、監督としても実績を残した、たたき上げの野球人生である。
両極端な野球人生を歩んだ2人だからこそ、理解できない部分のほうが多かったのだろう。橋上はこれに正解や不正解はないと語る。
「2人の指揮官の下でコーチとして経験を積むことができた私にしてみれば、野村さんから学んだものはとてつもなく多くありました。そして原さんからは、巨人を率いる将としてどうあるべきかという姿勢を学ばせてもらいました。この2つは、今でも私の大きな財産となっているんです」
◆“横綱ではない巨人”でどう戦うか
2026年シーズン途中に、橋上は急遽、監督代行を務めることになった。戦国武将の毛利元就は「人生には上り坂、下り坂、そして“まさか”の坂がある」と言ったとされるが、今回の人事はまさに“まさか”の心境だったに違いない。楽天時代、野村の下にいたときには、勝ち方のバリエーションは豊富にあるものだと考えていた。相撲に例えれば、寄り切りや押し出しだけでなく、けたぐりやいなし、奇襲のような技を駆使して最後に勝つという戦略だ。
原監督時代の巨人でそのような提案をした際、指揮官からは決まって「橋上、君の言いたいこともわかるが、ここは巨人だぞ」と一蹴された。
当時の巨人は投打のバランスが整っており、相手は横綱と思って挑んでくる。戦力が乏しいチームであれば奇襲も必要だが、横綱が奇襲を使うことはない。四つ相撲を取り切って寄り切りや押し出しで勝つのが原の考える「巨人の野球」であった。
だが、現在の巨人には、当時の横綱のような圧倒的な強さはない。セ・リーグでは阪神が巨人よりも頭一つ抜けた強さを誇っており、巨人は平幕上位の力であると見るべきだ。
橋上が監督代行としてどんな野球を展開してくるのか、大いに注目したいものだ。シーズンはまだ2ヵ月を経過したところで、まだ100試合近く残っている。予期せぬ出来事によってチームは逆風にさらされているが、若手とベテランの力を結集させ、思い切った采配によって困難な事態を打開してほしいと期待している。
<TEXT/小山宣宏>
【小山宣宏】
スポーツジャーナリスト。高校野球やプロ野球を中心とした取材が多い。雑誌や書籍のほか、「文春オンライン」など多数のネットメディアでも執筆。著書に『コロナに翻弄された甲子園』『オイシックス新潟アルビレックスBCの挑戦』(いずれも双葉社)

