午前12時23分ころ、高齢者が運転する車が、真菜さんと莉子ちゃんを撥ねる事故が発生した。「無事でいてくれマナりこ」――松永さんが14時半に送信したメッセージに、応答はなかった。
事件から7年が過ぎた現在、遺族として、松永拓也さんは会社員の傍ら精力的に講演活動などを続けている。家族との日々を振り返りながら、これまでの軌跡を辿った。

◆2013年に母の故郷で出会う
真菜さんの話をするとき、松永さんに柔和な笑顔が戻る。メディアで発言するときの緊張感から解放されたような、ほっとした顔だ。「真菜とは、2013年に出会ったんです。私の母が沖縄県出身で、はじめは親戚の知り合いとして出会いました。最初は一目惚れ。でも親しくなるにしたがって、言葉少ないけれど愛情に溢れたその人柄にどんどん惹かれていきました」
生前の真菜さんは人との縁を大切にした。たとえば親しい人間の誕生日などには、メールやLINEではなく、手紙を書いてお祝いの気持ちを伝えたという。
「まだ会社員になって年数も経っていなかったし、正直、経済的には潤沢ではありませんでした。でも、真菜に会いたい一心で、多いときには月に4回くらい沖縄県に飛行機で行きました。LCCの、しかも早朝6時とかのさらに安い時間帯の便に乗っていましたね。彼女も月1回くらいは東京に遊びに来てくれました。電話は毎日1時間くらいはしたと思います」
◆「いいよ」の日が大切な記念日に

「真菜には姉がいましたが、真菜が20歳のときに白血病で亡くなりました。私が交際を申し込んだのは、当然、結婚も視野に入る年齢です。自分がもしも沖縄県から出てしまうと、両親がさみしい思いをするのではないかと思って、答えはNOだったようです」
最後の告白のことを、松永さんはいまでも覚えている。2回フラれたあとの「ダメ元」での告白だった。真菜さんは「今日、何の日か知ってる?」といたずらっぽく笑った。11月4日、すなわち「いいよ」の日だと2人で笑い合った。ユーモラスで嬉しい返事をもらったこの日は、2人の記念日になった。
当然、結婚記念日もこの日に合わせた。2014年11月4日、2人は新たな門出を迎えることになった。2016年には莉子ちゃんも生まれ、家族が増える喜びにも出会えた。
永劫続くことを願った幸せは、高齢者が運転する一台の車によって粉々になった。2019年までの、4年と5カ月の結婚生活だった。事件当日、警察から電話がかかってきたときのことを松永さんはこう回想する。

