◆思い出は見たいときにだけ…

「真菜と莉子の思い出が詰まったものは、箱を用意してそのなかに入れました。いろいろな価値観があって、亡くなった人のものを感じたいという人がいることも理解できます。ただ、私は悲しくなってしまうので、思い出は自分が見たいときに取り出せるようにしたんです」
これまでを振り返るとき、「周囲に恵まれた」と松永さんはしばしば語る。たとえば、事件直後のこと。地元が同じで中学校から一緒の友人が5人、やってきた。
「5人はただそこにいてくれたんですよね。それがとても心地よかった。私が『つらい』と言えば、『つらいよね』と。散歩に行こうと言えば、ついてきてくれる。莉子とたくさん遊んだ公園は、やっぱりつらいから通れないと言えばみんなで迂回してくれる。何か言葉をかけられるわけでもないけど、代わる代わる来てくれて、一緒に時間を過ごしました。みんな仕事をしていたし、家族を持っていた人もいるのに」
◆「ひとりで悩まないで」と言われて
そして、一般社団法人 関東交通犯罪遺族の会(通称:あいの会)との出会いもそうだ。「代表の小沢樹里さんをはじめ、多くの人たちに出会いました。樹里さんから最初にかけられた、『ひとりで悩まないでください』という言葉を、いまでも大切に感じています。事件がなければ出会うことがなかった縁ですが、自分の思いを多くの人に届けるきっかけをいただきました」
松永さんが活動を続ける背景には、何があるのか。
「中心にあるのは、家族ですよね。私にとって真菜は、その生き様に心から尊敬の念を抱いた人です。例えば腎臓の数値があまりよくなかった私のために『絶対に治してあげるから』と、いろいろ調べて手書きのレシピをノートにまとめてくれていました。実際、本当に数値は改善されたんですよね。愛情に溢れていて、こんな人に自分もなりたいと思える人でした。そして、2人のあいだに生まれた莉子は、本来であれば真菜と一緒に試行錯誤しながら将来をともに歩むはずでした。私が声をあげることで、少しでも規範意識が高まるのなら、不条理な死に泣く人が減ります。わずかでも明るい未来を展望できれば、と現在は考えています」
大きな悲しみを乗り越えてなお社会に貢献する姿に、人々は思わず感動さえ覚えてそれを口にする。だが松永さんは「褒めていただくことは多いけれど、私は強い人間でも立派な人間でもないんです」と話す。

