
たいみち
ぼんやり知っていたことを調べたら
古い文房具を集め始めた当初から、なんとなく耳にしていた話がある。紫色の文房具で昔事故があり、使用禁止になったという話だ。なぜか「絵具」だと思っており、以前連載に書こうと調べたことがあるが、絵の具に関する有害性について特段目立った事故などは見つからなくて、そのままになっていた。
その後問題の文房具は紫のコピー用鉛筆らしいということがわかり、やっと使用禁止に至った経緯がわかったので、ここで紹介しよう。
*大正頃の紫のコピー用鉛筆コピー鉛筆と「毒の話」
まずコピー鉛筆とは何かを簡単に説明しよう。名前の通り、書いた内容をコピーできる鉛筆だ。芯が通常の鉛筆芯と異なり、水に溶け、且つ浸透力が高い性質で、紫の他に赤、青、緑などいろいろな色がある。「濡らすとインクになる芯」というのがわかりやすいだろう。
書いた部分を濡らし、複写する紙を押し付けることで、インキが別の紙に浸透してコピーされる。紙に直接移すのではなく、ゼラチン状のこんにゃく版に移して、そこから他の紙に写す方法もある。
(※以前こんにゃく版を作ってコピーする実験を行っているので、よかったら「やってみた!100年前のコピー」https://www.buntobi.com/articles/entry/series/taimichi/013435/ を参照いただきたい。)
この特殊な芯にはアニリン色素が使われており、アニリン色素は19世紀半ばに登場した「アニリン」を原料とする世界初の人工合成染料だ。そして、コピー用で使われているのは鉛筆になっているものだけではなく、芯のみ(芯ホルダー用など)もあるし、コピー用インクもある。
そんなコピー鉛筆に、いつ何が起きたのだろうか。長年気になっていたことを、明治37年発行の「毒の話 : 日常衛生」※1に詳しく紹介されているのを見つけることができた。 発生したのは、明治35年(1902年)。ある中学生が、紫のコピー鉛筆を削っている時に芯のかけらが眼に入ってしまった。紫の涙が出て、ひどく腫れてしまったので数日後眼科に行ったが、治癒せず片目を失明してしまった。
その際に治療に当たった眼科医 黒川武一郎が、翌明治36年に学会でこの件を発表したことで、紫鉛筆の有毒性が世間に知られることとなった。
この学生だけでなく、他にも紫鉛筆の芯が眼に入ったことによる事例が複数発生し、文部省は、明治37年(1904年)に紫コピー鉛筆の原則使用禁止令を出した。
*大蔵省印刷局 [編]『官報』1904年08月09日,日本マイクロ写真 ,明治37年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2949652 (参照 2026-06-10)ここで禁止されているのは、LYRA、Johann Faber、H.C.KURZなどドイツのメーカーだ。また、明治35年の事故で使われていたのはSTAEDTLERのコピー鉛筆だ。日本で普通の鉛筆が学校教育の中にも取り入れられ、普及しだしたのが明治の終わり頃なので、このころはまだ国産のコピー鉛筆は作られていなかったのであろう。
*STAEDTLERのコピー用鉛筆。同じ鉛筆で書いた文字で、下は濡らした後。
