◆「プリウスの追突」がもたらした転機
寒さの厳しい日の通勤途中、いつものように車を走らせていた。音楽を聴きながらぼんやりと信号待ちをしていると、激しい衝撃とともにガラスの砕ける音が車内に響き渡った。異変を察知して後方を振り返ると、自車の後部にプリウスが突っ込んでいた。混乱を鎮めつつ降車すると、気が動転した様子の運転手が座席で硬直している。軽バンの車体はタイヤ部分に変形したボディがめり込んでおり、自走不可能な状態であった。冷静に警察へ通報し、現在地を説明する。
相手車両の窓を叩くと、「す、すみません!!!」と初老の男性が涙を流して叫んだ。筆者も別の意味で涙ぐみながら「ありがとうございます! これで仕事に行かなくて済むかもしれません!!」と男性の手を握り、警察の到着を待つよう告げた。即座に元請けの連絡先へ電話を入れ、事故に遭ったため本日の稼働は不可能だと伝達した。警察と救急車が到着し、サイレンが鳴り響く車内で、筆者はこの状況を利用してどのように戦線を離脱するかを模索し始めていた。
◆搬送中に鳴り響いた鬼電を無視
搬送中もスマホにはオーナーからの鬼電がかかってきたが、治療中を理由にすべて無視して戦略を練った。車両は警察から自走不可の判定を受けており、相手方の対物保険で買い替え対応になる可能性が高い。しばらく行方をくらませば、そのまま引退できると考えた。報告の段階で意図を察知されては元も子もないため、検査を終えて病院を出たのち、平静を装って折り返しの電話をかけた。「千馬君、明日配達行けそう? 今から埼玉まで代車を取りに来てほしいんだけど……」
受話器から聞こえた第一声で罪悪感は完全に霧散した。筆者は「行きません。車両も保険で同等のものが補填されるはずですから、このまま退職させてください」と言い放って通話を切った。何度も着信音が鳴り響いたが、友人に連絡を取り「1か月ほど泊めてほしい」とメッセージを送信。オーナーの番号を着信拒否に設定し、清々しい気分のままパチンコ店へ足を向けた。
日雇い労働をしながら友人宅を転々とし、1か月後に自宅へ戻ると、インターホンの履歴にはオーナーの来訪記録が無数に残されていた。しばらくして諦めたのだろう、郵便受けに「修理代内訳」と書かれた書面が投函されていた。累計80万円ほどの請求金額が記載されていたが、事務所の所在地宛てに「相手の保険金で相殺されたはずの修理費用を支払う正当性はない」との書面を送付して以降、連絡は途絶えている。

