◆「必死に働かなくても暮らせる」日常を満喫

内田:国民三大義務から解放された気分になる(笑)。家が小さいと、電気、ガス、水道が年間7万円で済みますし、近所の人たちが食べ物を持ってきてくれるから、必死に働かなくても暮らせる。笠地蔵みたいにね、朝起きるとテラスに野菜とかが置いてあるんですよ。
スペースが限られているので、ものの整理も進みます。洋服は半分捨てたけど、結局、まったく着ていない服ばかりだった。掃除機も邪魔で、ほうきと雑巾と抗菌剤があれば十分。掃除が楽になるだけで、こんなに自由な時間ができるんだって思いました。
リビングにキッチンとトイレ、シャワーと生活に必要な設備は一通り揃っているので、何不自由なく暮らせます。一人暮らしを始めてからは、全国から友だちが遊びに来るようになりました。夫がいると、みんな気を遣って来ないんですよ。でも今は気兼ねなく集まれるので、庭に屋台を呼んで30人でパーティーをしたこともありました。
――もともとミニマリストだったのでしょうか。
内田:私がミニマリストになったのは、『スモールハウス』(ちくま文庫)という書籍に影響を受けたからです。本当の豊かさとは何か、経済とは何なのかを考えさせられました。将来の理想の生き方が見つけられるかもと思って、実際に3坪住宅を作って住んでみたら、人生観が180度変わったんです。ラクで楽しい人生になりました。
そもそも、伝統構法の自然の家は、空気清浄機や加湿器、除湿器が全部いらないんです。無垢の木材や土壁が呼吸してくれるから、家そのものが湿気を調節してくれる。住んでみて、その心地よさがわかりました。
◆体調不良を救った自然素材での家づくり

内田:私が幼い頃は、宮崎県ではまだ伝統構法で建てられた家が残っている時代で、その建築現場を見るのが大好きでした。たまたま親が家具屋、テント屋、カーテン、内装業を営んでいたので、高校を卒業してすぐ家業を手伝うようになりました。19歳で結婚して、19歳と20歳で息子を2人出産。その後も親の仕事を手伝っていたんですが、親とは折り合いがつかなくて、一度辞めたんです。
自動車部品の組み立ての仕事をしていたのですが、地域の高齢化でカーテンの縫製工場が次々となくなっていって。そんな時、親から「あんたがカーテン縫製をすればいいのに」と言われたんです。
でも、親と一緒に仕事をするのは難しいと分かっていたので、30歳の頃に独立して、自分の会社を作り、カーテン縫製を始めました。
――現在は伝統構法による家づくりをライフワークにされていますが、その考え方はどのようにして生まれたのでしょうか。
内田:結婚後に体調を壊してしまいました。親が建てた新築の家に引っ越したら、高気密で隙間がないから暖房がよく効く。それが嬉しくて窓を締め切って暖房をガンガン入れていたら、皮膚病や生理不順、ずっと微熱が続くなど、次々と体調が悪化しました。
病院では膠原病と診断されました。でも、その頃ちょうどインテリアコーディネーターと建築士の資格を取るために勉強していたこともあって、「これは引っ越しによるシックハウス症候群じゃないか」と思うようになったんです。
そんな中、自然素材の建材を使う建築士さんと出会って、現場を手伝っていたら、足がピカピカになって、水虫まで治ってびっくりしました。真似をするように自宅のビニールクロスの壁に珪藻土を塗ってみたら、5年間患っていた鼻炎が3日で治った。さらに合板フローリングの上にスギの無垢材を張ってみたところ、皮膚の湿疹も消えたんです。
当時、長男は毎晩鼻血を出していたし、よく風邪もひいていた。次男も耳鼻科通いでしたが、一気に良くなりました。「やっぱりシックハウス症候群だったんだな」と実感しました。
建築士の資格も取ったので、天然乾燥の杉を使った床材を使うようになると、口コミで徐々に広がっていきました。宮崎県で作るようになりました。それが話題になって、全国から問い合わせをいただくようになったんです。
そうやって天然素材の木材を使った家づくりを突き詰めていくと、やっぱり最後は伝統構法にたどり着くんですね。

