◆「実家の家業継承」を巡る混乱を経て
――ご自身の会社は順調ながらも、実家で問題があったそうですね。内田:はい。独立してから私の会社は順調でした。周囲に競合もない状況でしたから。
ただ、息子が大学を卒業するタイミングで、親が自分の会社の後継者がほしかったんでしょうね。私の知らないところで、京都で就職していた息子に「社長になってほしいから、帰ってこい」と言って、無理やり宮崎へ呼び戻したんです。
でも、後を継いだ息子は親にいじめられて、会社を辞めました。跡取りがいなくなった親は、今度は弟を後継ぎにしようとしたんです。
――弟さんが後を継がれたのでしょうか。
内田:弟は高校時代からゲームセンターに入り浸って問題になったり、目覚まし時計を月週に5回も分解して壊したりするような、ちょっと変わった子でした(笑)。
その後ソニーに入社して、プレイステーション2の頭脳設計やブルーレイの開発をしていた人間ですから、家業を継ぐという選択肢はありませんでした。
弟に断られ、社長がいなくなったことで、結局、私が自分の会社を畳んで親の会社を継ぐことになったんです。
――順調だったご自身の会社を閉じてまで家業を継ぎ、社長になられたわけですね。実際に会社へ入ってみて、どんな印象でしたか。
内田:ちょっとガラの悪い雰囲気の会社だったんですよ。「この会社やばいな」と思いました。
◆「裁判を起こした方がいい」と言われたものの…
――そう感じたのは、具体的にどんなところだったのでしょうか。内田:従業員が10名ぐらいいたのですが、そのうちの男性従業員と女性の事務員がつるんで、横領していたんです。帳簿を見たいと言っても、私には触らせてくれない。黙って税理士に会いに行ったりもしていました。
彼らが社長である私には内緒で、「俺たちが経営者になる」みたいな話を秘密裏に進めていたんでしょうね。私が社長になって2年が経った頃、親がその従業員たちに会社を売却したんです。私には何の相談もなく。
――会社を売却されたと知ったときは、どんなお気持ちでしたか。
内田:怒りが収まらなくて、荒れてしまいました。親の車のタイヤ4本にビスを刺してパンクさせたり、玄関の絵画を割ったり、花壇に油をまいたり。不良少女ですよ(笑)。
親とは縁を切ったつもりです。もう完全に音信不通です。周りからは「裁判を起こした方がいいんじゃないか」とも言われました。でも、辞めさせられた次の日から、ありがたいことに知り合いや昔からのお客さんが次々と仕事を依頼してくださったんです。裁判どころじゃありませんでした。とにかく仕事を終わらせたい、その一心でした。

