
「子どもがいるのになぜ性産業で働くのか」「もし子どもが同じ道を選んだらどうするのか」
SNSでもたびたび議論となるテーマについて、自身の壮絶な半生とともに率直な思いを語ってもらった。
◆「沖縄を飛び出したかった」少女時代の葛藤

玉城:そうです。私の出身は沖縄でも田舎のほうなんです。でも最近は開発が進んできて、だいぶ便利になってきました。沖縄の南部の出身なので、北部に比べると、いわゆるリゾート地という感じではないですね。
――沖縄県で生まれ育って、影響を受けたと感じることはありますか?
玉城:沖縄県人は地元愛がすごく強いんです。だから、人と違うことをすると「あれ?」という目で見られることが多いですね。だから私は自分の考え方が周りと合わないなと感じていたので、小さい頃から「沖縄を出たいな」とずっと思っていました。
――どういう家庭環境でしたか?
玉城:私は父子家庭で育ったので、友達と遊ぶというより、家のことを手伝っている時間が多かったんです。同年代の子たちみたいに遊ぶことは、あまりできなかったんですよ。
――東京には何歳くらいで来たんですか?
玉城:セクシー女優の撮影を始めてから、1~2年くらいで東京に出てくるようになりました。
――20代後半で東京に出てくるのは、なかなか大きな決断ですよね。
玉城:そうですね。デビュー当時は撮影があるたびに沖縄から東京に来ていたんです。
◆シングルマザーが生活のために選んだ仕事
――沖縄で、どうやってデビューのきっかけをつかんだんですか?玉城:もともと性的サービス店や飲み屋で働いていたことがあって、ある日、お客様として業界関係者の方が来られたんです。そのときは何も言われなかったんですが、半年くらい空けてから、もう一度来店されて、「あなたは絶対に東京へ出たほうがいい」「こんな小さな場所にとどまっていたらもったいない」「もっと発信したほうがいい」と言われたんです。その言葉を聞いて、自分の中で封印していたものが一気にあふれてきてしまって、主人に「私、セクシー女優になる」と話したんですよ。
――すごいですね。結婚は2回目ということですが、そのご主人というのは今のご主人ですか?
玉城:そうです。
――最初の結婚は何歳のときですか?
玉城:20代前半で同級生と結婚しました。最初の夫との子どももいます。私は居酒屋で働いていて、彼はお客さんでした。最初のイメージは「うるさい人だな」って思い、注意をしたんです(笑)。でも、全然静かにならなくて、「ほかのお客さんの迷惑になるから出ていってください」と追い出したくらいでした。後日、人づてに私の連絡先を聞いて「この前はすみませんでした」と謝ってきたんです。それで少しずつ印象が変わって、居酒屋にも来てくれるようになって、そこから少しずつ付き合うようになったんですよ。
――最初のご主人とは、そういう出会いでしたか。そして、離婚してしまったんですか?
玉城:はい、離婚することになって、私が相手の家を出ると同時に仕事も車もなく、無一文になってしまったんです。仕事を探さないと家も借りられないし、家がないと子どもを保育園にも入れられない。どうしたらいいんだろうと思って、実家に頭を下げて「期限付きで置いてください」とお願いしました。
――実家に帰ることには抵抗があったんですか?
玉城:祖母がとても厳しくて、「自分のことは自分で責任を持ちなさい」という人でした。
――それまで働いていた居酒屋には戻らなかったんですか?
玉城:子どもがいたので、生活費が居酒屋の給料では間に合わなかったんです。なので、性的サービス店で働き始めたんです。
――いきなり、そこへ飛び込む勇気はすごいですね。
玉城:「もう甘えてはいられない」「私がこの子を守るんだ」と思ったので、そこで働くことに抵抗はありませんでした。

