その作業に従事したのが、東京歯科大学名誉教授で歯学博士の橋本正次氏。あの夏の現場は、日本の災害時の身元確認の原点となった。事故から41年、そこで得たものは何に受け継がれているのか。身元確認の現場と、遺族と向き合う報道のあり方を聞いた。

◆背景には「奉仕」の思いが
――日航機墜落事故で身元確認に携わることになった経緯を教えてください。東京歯科大学として組織的に動員されたのか、個人として参加されたのでしょうか。橋本:個人ではなく、私が所属していた法歯学講座が動くことになったんです。事故後すぐに現場に向かった当時の鈴木和男教授(故人)から「来られる者は来い」という連絡があり、4日後の8月16日に、私を含む3人が群馬へ向かいました。
いま思えば、あの頃は歯が身元確認の決め手になるという認識そのものが、世間にも、医療の現場にすらあまりなかった。だから、そもそも歯科の人間が呼ばれること自体が異例でしたし、急な要請で参加できる人員も限られていたんです。
現地に行く費用についても、日本航空からは一切受け取っていないと聞きました。交通費はのちに大学から出して頂いたと聞きました。「法歯学は奉仕の学問だ」という教授の考えがあったからです。
◆急きょ駆けつけた現場の状況は…
――藤岡市民体育館での作業が始まった当初、現場の状況はどのようなものでしたか。橋本:まず、墜落現場は御巣鷹の尾根、深い山の中です。自衛隊の方々が斜面を捜索してご遺体を見つけ、回収するのですが、そこから人の手で担いで山を下りるわけにはいきません。そこで山の上にヘリポートが設置されました。
見つかったご遺体は毛布のようなブランケットにくるみ、ヘリコプターでそのヘリポートから運び出します。降ろす先は、藤岡市民体育館の裏手にある大きな運動場です。
運動場に降ろされたご遺体は、その場で棺に納めます。そして棺のまま体育館の中へ搬入し、番号をつけて登録する。そこから先が、警察官や医師、歯科医師、看護師などの仕事です。一体ずつ、確認のための検査に回されてきました。
運ばれてくるのは、大きなご遺体から小さな断片まで。損傷の程度に関しても、まったく焼けていないものから、完全に焼けてしまったものまで様々でした。真夏ですから、山で何日か経てば必ずハエが卵を産みます。ウジがわいた状態で下ろされてくると、看護師さんたちがそれを洗い落とし、ようやく検査に回せる。終わったら棺にドライアイスを入れて保管し、ドライアイスは毎日のように詰め替える。医療関係者は、多いときで数百人、歯科医師だけでも100人を超えていたと思います。

