◆遺族対応を行った職員にも大きな負担が
――約4か月にわたる作業を終えた後、どのようなお気持ちでしたか。遺族への思いも含めてお聞かせください。橋本:作業は8月から12月まで、およそ4か月に及びました。12月8日にすべての見直しを終えたあと、まだご家族が見つかっていないご遺族に、「確かめたいことがあればお越しください」と連絡をしました。そうして待ち続け、12月13日の金曜日に区切りをつけました。その一週間後、12月20日が合同葬でした。
遺族対応でいえば、日本航空が犠牲者のご家族一人ひとりに職員を一人つけて、ずっと付き添わせていました。その世話役と仲良くなって、いまも家族ぐるみで付き合っている事例も見られます。一方で、どうしても受け入れてもらえず、自ら命を絶った職員もいたと聞きました。
ご遺族は限界まで追い詰められています。事故を起こした航空会社の職員が目の前にいれば、その怒りが向かうのは当然です。だからこそ、誰を担当につけるかを慎重に見極め、そして付き添う担当者自身も一人で抱え込まないよう支える仕組みがいる。それを怠れば、ご遺族が救われないばかりか、対応する側も壊れてしまう。あの現場で痛感しました。
◆取材で傷つけられた尊厳
――この事故では報道の過熱も問題になりました。災害報道のあり方をどうお考えですか。橋本:伝えることが仕事である以上、現場に来ること自体を否定するつもりはありません。使命感を持ってやっている方がいるのも承知しています。
ただ、あのときは一線を越えるものが少なくなかった。体育館の周りには報道陣が張りついていて、ご家族が出入りするたびに駆け寄り、「今のお気持ちはどうですか」とマイクを向ける。悲しいのは誰だってわかっている。「この人は何を聞きたいんだ」と思いました。いま何が起きているのかを事実として知りたいだけなら、わざわざ直撃する必要はないはずです。耐えかねたご遺族から、なんとかしてほしいと訴えてこられたこともありました。
さらにひどいものもありました。安置所は本来、報道は立ち入り禁止です。それでも入ってくる。心配そうにご家族の後ろについて、一緒に中まで入ってしまうんです。しかも白衣を着ている。中にいる者から見れば、医療スタッフの一人にしか見えない。
そうして棺が開けられると、すっと足元のほうへ回り込む。白衣にカメラを仕込み、ポケットの内側を切った隙間から撮るんです。棺の中で眠る被害者の顔を、いったい誰が見たいというのか。しかし、その写真が当時の写真週刊誌に載った。見せてもらえないものが見られる、というだけで売れてしまう。それは、ご遺族を食い物にしているだけだと痛感しました。
高浜雅己機長を世間が責めたのも、私は違うと思っています。同じ状況でシミュレーションをやれば、ほかのパイロットだったらみんな10秒ほどで墜落してしまうと聞きました。それを30分飛ばしたんです。超一流ですよ。でも結果が悪ければ、恐怖を与えた側として見られてしまう。事実を正確に伝えることと、ご遺族の役に立つことは、両立できるはずなんです。そこを引き受けてくれる報道であってほしいと思います。
◆あまりに大きな犠牲が教えてくれたのは…
――事故から41年、日本の身元確認体制はどこまで整備されたとお考えですか。今後の課題は。橋本:警察歯科医の制度が全国に整い、体制は大きく前進しました。DNA鑑定という強力な手段も加わりました。あの当時を思えば、隔世の感があります。
ただ、「DNAさえあれば何でもわかる」と結論付けるのには危うい印象を抱きます。DNA情報には名前がないんです。「あなたのDNAを知っていますか」と聞かれても、誰も答えられないでしょう。照合する資料がなければ、誰であるかまではたどり着けない。だからこそ、まず歯で身元を確認するべき。そのご遺体のDNAがわかれば、そこから手足の断片へとつなげていける。どちらが優れているという話ではなく、順番と組み合わせの問題なんです。
社会の変化も課題です。歯科に通わない人が増え、カルテが残っていない。未曾有の状態で大きな災害が起きたとき、何を手がかりにするのか。2026年秋の発足をめざす防災庁も、いまは南海トラフ地震や首都直下地震といった自然災害に視線が向いています。航空機事故のような人災まで含めて、身元確認や遺族対応をどう位置づけるのか。細部まで見据えた議論をしてほしいと願っています。
とはいえ、私は悲観していません。歯が身元確認の決め手になると誰も知らなかった時代から、いまは全国に警察歯科医がいて、鑑定の技術も格段に上がりました。かつては現地へ飛ぶしかなかったものが、いまは写真一枚を送れば、その日のうちに照合ができる。備えの形は、確実に前へ進んできたんです。
520人という、あまりに大きな犠牲が教えてくれたことを、次の災害で一人でも多くの方をご家族の元へお返しするために活かす。それが、あの現場に立った私たちの責任だと思っています。
<取材・文/菅原春二>
【菅原春二】
東京都出身。フリーライター。6歳の頃から名刺交換をする環境に育ち、人と対話を通して世界を知る喜びを学んだ。人の歩んできた人生を通して、その人を形づくる背景や思想を探ることをライフワークとしている。

