「一緒に行ってみない?」。そんな唐突な誘いを受け、これまで延べ100人以上の若者が、東京から250キロ以上離れた“現場“へと旅立った。
現実を目の当たりにした参加者の多くはその後、マスコミ業界に入り、記者として伝える側へと立場を変えている。
取材して記事を書くだけが記者の仕事ではない。15年前の教訓を別の形で伝え続けようとする青年がいる。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)
●記憶のない大学生、現場を訪れ「実感湧いた」
今年2月下旬、猪股修平さん(28)に連れられ、一人の大学生が福島県大熊町を訪れた。マスコミの記者を目指しているという早稲田大学の名取佳音さん(21)だ。
千葉育ちの名取さんは2011年当時、まだ幼稚園児だった。3月11日、日本を襲った未曾有の大災害の記憶はほとんどない。
しかし今回、原発事故で人が住めなくなったエリアに立ち入ったり、多くの住民が津波に巻き込まれた場所の震災遺構を訪れたりしたことで、「本当にあったんだなと、実感が湧いてきた」と息を呑んだ。

●月2回以上、東北に通う生活
猪股さんが若者たちを連れて行く「現場」。それが、東日本大震災の被災地や、日航ジャンボ機墜落事故の現場などだ。
現在はビジネス系メディアの記者として働く猪股さんだが、本業とは別に、月に2回以上、東北に通う生活を送っている。
そして、ことあるごとに被災地でのスタディーツアーを企画し、メディアへの就職を希望する学生らに声をかけている。
参加する学生らの負担を減らすため、移動にはレンタカーを使い、訪問先によって安宿や親族宅を使い分ける。
仕事終わりの時間や休日を使ってツアーの計画や受け入れ先との調整を進め、出発前には震災に関する本や記事などの参考文献を参加者に送る。
「ただ行くだけの旅行で終わらせないで、今後に生かしてほしいから」。猪股さんは狙いをそう説明する。


