●「いろんな人を連れてきて」遺族との約束
仕事につながるわけではない。それでも、なぜそこまでするのか。
「遺族の方たちから『いろんな人をここに連れてきてね』と言われて、約束したんです」
猪股さんはボソリと答えた。
2011年3月11日午後2時46分ごろ、宮城県仙台市の自宅リビングにいた猪股さんは「とんでもない揺れ」に襲われた。
テレビや棚が倒れ、皿が割れる音が響いた。庭に飛び出すと、2回目の大きな揺れが起き、車や電線が波打つように揺れていた。
翌日、実家でとっていた全国紙は自宅に届かなかったが、近所の新聞販売店の壁には地元紙が張り出され、人だかりができていた。
当時、中学1年生だった猪股さんは「こんな困難な状況でも、情報を届ける媒体があるのか」と感動した。それが後に新聞記者を志す原体験になった。

●被災地から進学で関東へ「無関心がいかに怖いか実感」
関東の大学に進学してから、猪股さんは被災地への思いを強くしていく。
大学で知り合った同世代の友人らと話す中で、東日本大震災が「人ごと」として語られ、「復興は終わった」という声すら聞くようになっていた。
2016年に熊本地震が起き、「東日本大震災の教訓が生かされたのか?」という疑問も頭をもたげてきた。
猪股さん自身、家族を亡くしたわけではないという葛藤を抱えつつも、「関心を持たれないことが、いかに怖いことなのかを実感した」という。
地元紙のインターンに参加した際には、被災地の住民から「復興というのが何なのかを考えてほしい」と問いかけられ、「自分の中で消化するだけで終わらせてはいけない」と思った。


