フランス・パリの観光名所として名高いルーブル美術館。2026年から非ヨーロッパ人観光客の入館料を上げたことでも話題になりました。
広大な建物のなかでも、ルーブル美術館を訪れた人が必ず足を止めるのが、「グランド・ギャラリー」です。まさに美術館の心臓部にあたるスペースですが、こんな疑問を抱いたことはありませんか?
「あれ?フランスの美術館なのに、イタリアの芸術家の作品ばかりだな…」
そうなんです。現在のルーブル美術館を筆頭としたフランスの美術館には、イタリア作品が非常にたくさんあります(もちろん、エジプトやギリシャなどの作品も!)。実はこの背景には、誰もが知っている歴史上の人物の軍事作戦がありました。
この記事では、ローマ大学院で文化遺産保護を専攻している筆者が、イタリアからフランスに持ち去られた芸術作品とその背景について紹介します。
トーマス・アロム「グラン・ギャルリー, ルーヴル美術館」, Public domain, via Wikimedia Commons.
パリを「新しいローマ」に?ナポレオンとイタリア芸術の略奪
デヴィッド - アルプスを越えるナポレオン, Public domain, via Wikimedia Commons.
フランスがこれだけたくさんの芸術コレクションを抱えている理由一つには、ナポレオンの活躍があります。「活躍」というのは、もちろんフランス側の視点であり、略奪にあった国々にとっては現在に至るまで残る大きな損失です。
ナポレオンが領土拡大のために近隣国を次々に倒していったことは、歴史の教科書で習ったとおりです。しかし実は、ナポレオンによるイタリア侵攻は、単なる領土の拡大や政治的支配に留まらず、人類史上稀に見る規模の「芸術作品の組織的移動」を伴うものでした。
つまり、彼にとって芸術とは単なる鑑賞の対象ではなく、フランスの文化的優位性を世界に知らしめ、パリを「新しいローマ」へと作り替えるための強力な政治的装置だったのです。
美術史家が軍に帯同!?ナポレオン略奪の始まり
『1797年、イタリアのボナパルト』, Public domain, via Wikimedia Commons.
1796年に始まったイタリア戦役において、若き将軍ナポレオンは、これまでの戦争における場当たり的な略奪とは一線を画す、「計画的な収集作業」を開始しました。なんとナポレオンは、軍隊と共に美術史家、修復家、学者などを含む「芸術専門家委員会」を帯同させたのです。
この「芸術専門家委員会」の中核を担ったのが、後にルーブル美術館(当時はナポレオン美術館)の初代館長となるヴィヴァン・ドノンです。彼らは進軍する先々で、どの教会の祭壇画が重要か、どの宮殿に価値のある彫刻があるかを事前にリストアップ。ラファエロの『キリストの変容』などとくに重要な作品は、最優先で略奪するよう計画が練られました。
一般的な感覚を持つ人は、「そんな文化に対する一方的な武力行使が認められるのか!?」と、ギョッとするかもしれません。
しかしナポレオンには、彼なりの大義名分がありました。彼はこの略奪を正当化するために、「自由の国であるフランスこそが、天才たちの作品を保管し、正しく評価するにふさわしい唯一の場所である」という論理を掲げていたのです。
つまり「抑圧されたイタリアの地から芸術を『解放』し、公共のものとしてパリで展示することこそが、啓蒙主義の理想である!」と。イタリアで美術史を研究する我々にとっては、胸がキュっと痛くなるような傲慢で自己中心的な主張です。
