略奪品で築かれたナポレオン美術館の隆盛
近代のパリ。チュイルリー公園、ルーヴル美術館、そしてリヴォリ通り。チュイルリー公園から撮影した眺め, Public domain, via Wikimedia Commons.
トレンティーノ条約の翌年1798年、イタリアから運ばれた膨大な芸術品がパリに到着した際、街では熱狂的な「勝利のパレード」が開催されました。戦車に乗せられた古代の石像や、重厚な木枠に梱包されたルネサンスの絵画がシャンゼリゼ通りを練り歩く様は、市民にフランス帝国の威光を強く印象付けたことでしょう。
これらの作品は、ルーブル宮殿に開設された「ナポレオン美術館」に収蔵されました。ドノン館長の指揮のもと、美術館は世界最大の文化の殿堂へと変貌を遂げます。
カナの婚礼 - パオロ・ヴェロネーゼ - ルーヴル美術館 絵画 INV 142 ; MR 384, Public domain, via Wikimedia Commons.
イタリアから奪われた作品には、ローマ以外の都市の歴史的名作も含まれていました。パオロ・ヴェロネーゼの巨大な名画『カナの婚礼』(ヴェネツィア)やメディチ家の至宝であった古代彫刻『メディチのヴィーナス』(フィレンツェ)などです。
パリを訪れる知識人や芸術家たちは、かつてはイタリア各地を巡らなければ見ることができなかった傑作が、一箇所に集められていることに驚愕し、同時にその圧倒的な文化的独占に戦慄しました。
帝国の崩壊と芸術品のゆくえ
ワーテルローの戦い, 1815年, Public domain, via Wikimedia Commons.
1815年、ナポレオンがワーテルローの戦いで敗北し、帝国が崩壊すると、奪われた芸術品の返還問題が国際的な焦点となりました。当然、イタリアの各諸国は、フランスに対して作品の返還を強く要求します。
ここで活躍したのが、彫刻家のアントニオ・カノーヴァです。彼は教皇の使節としてパリに乗り込み、執拗な交渉を行いました。しかし、フランス側も「これらはすでにフランスの財産であり、文化遺産である」として激しく抵抗しました。
『ラオコーン像』や『サン・マルコの馬』などは、紆余曲折を経てイタリアへと戻されました。他にも多くの作品が交渉の末に返還されています。しかし、移動の困難さやフランス側の政治的圧力により、多くの作品がパリに留っているのもまた事実です。
ヴェネツィアから持ち去られたヴェロネーゼの『カナの婚礼』は、大きすぎて輸送中に破損する恐れがあるという理由で、現在のルーブル美術館の顔となっています。実は本作はナポレオンがパリに持ち帰った際、大きすぎるがゆえに(縦約6.7m×横約9.9m)キャンバスを真っ二つに折ってしまったのです。
