●現行法でも対処できるが…本質はそこではない
他人が所有する国旗を損壊する行為は、現行法でも器物損壊罪に該当します。式典などに掲揚されている国旗を損壊した場合も同様です。
そのため、「現行法でも対処できるのではないか」という反対論の理由の一つとして挙げられます。
しかし、国旗損壊罪を制定したい側の意図は、まさに自己所有の国旗を損壊する場合も処罰したいという点にあるので、「現行法でも足りる」という議論とは噛み合っていません。
問題の本質は、「自己が所有する国旗を毀損する行為に対して、国家が刑罰を科してまで禁止できるのか」という問題です。
そもそも、国旗が毀損されることで秩序が保てなくなっている状況は、現在の日本にはありません。仮に、そのような状況があったとしても、それだけで刑罰を科してもよいことにはなりません。
国旗が毀損される状況が社会秩序を乱すほど広がっていたとすれば、それは国家に対する反対意思の表明と考えるべきです。
その場合、処罰によって対処するのではなく、政治のあり方そのものを根本から考えるべきでしょう。それこそが民主主義の要請でもあります。
●「不快」「嫌悪」という曖昧さ
今回の案では、「公然と損壊、除去、汚損する行為」のうち、「他人に不快、嫌悪を抱かせる方法」に限定するとされています。一見すると、処罰範囲を限定したようにも見えます。
しかし、「不快」「嫌悪」は極めて主観的なものです。どこまでが許され、どこからが処罰されるのか、一義的な線引きはできません。
その結果、「どこまでが表現として許されるのかわからない」という萎縮効果が生じます。そして最終的に、国旗を損壊する行為そのものが、広く処罰対象とみなされる危険があります。
結局のところ、損壊行為そのものが広く処罰対象となると考えたほうが実態に近くなるでしょう。
自民党案では、憲法の「表現の自由」を不当に侵害しないように留意しなければならないとの一文が入るということです。しかし、そもそもが「表現の自由」を侵害するものであり、その一文はまったく歯止めになることはありません。

