大企業に長く勤め、定年まで働けば老後は安泰――。そんな時代は、すでに終わりつつある。外資系製薬会社で35年以上働いてきた男性は、50代後半で「早期退職」という選択をした。プレッシャーや職場の居心地の悪さから会社を去ったはずだが、その後の人生は、必ずしも「第二の人生」と呼べるものではなかった。
『ルポ 過労シニア 「高齢労働者」はなぜ激増したのか』(朝日新書)より一部抜粋、再構成してお届けする。
プレッシャーからは解放された
「社内のパワハラ体質に嫌気がさし、早期退職を受け入れました。ちょうど母親の介護というタイミングもあったのですが、それは言い訳ですね。会社の居心地が悪くなったのが本当の理由です」
こう話すのは、外資系の製薬会社でMR(医療情報担当者)を35年以上勤めてきた九州地方在住のIさん(61)。Iさんは会社を57歳で早期退職し、現在は近所のスーパーで品出しのパートをしている。
「製薬会社のMRとスーパーの品出し、全く異なる仕事ですよね。でも、今はそれなりに充実した毎日を送っています」
Iさんはさわやかに答える。スラリと背の高いIさんは、ジーパンにダンガリーシャツを着た、身のこなしのスッキリとしたシニアである。
スーパーで働き始めてまだ半年。仕事内容だけでなく、スーツ姿のMR時代とは服装も違う。
「普段の仕事は鮮魚売り場の掃除や品出し。服装は長靴、防水のエプロンと作業着、ゴム手袋、ネット付きの帽子とマスクです」
パートで働いているのは、ほとんどが50~60代の女性で、男性のパート従業員はIさんのほかに、別のスーパーを退職した60代の男性が一人だけいる。男手が少ないために、Iさんは職場では頼りにされているという。
「仕事は鮮魚コーナーのバックヤードで台車や品出しで使用する長いプレートなどを洗ったり、消毒液をかけたり。魚をさばいた後に床が血のりで汚れるので、それをデッキブラシで洗ったり。マイナス20度の冷凍庫からマグロや貝類などの商品を取り出し、プラスチックのトレーに載せ、ラップして鮮魚コーナーに並べるのも私の役目です」
スーパーの品出しは、売り場に隙間なく商品を埋めていかなければならない。夕方17~18時頃は次々と商品がハケていくので、商品を冷凍庫から出しては並べるの繰り返しで、息つく暇もない。
「夕方に商品を運ぶときは、スーパーの中が混雑しているので、お客さんにぶつからないように気を遣います。土日は子ども連れが多く、店内を子どもが走り回るのでとても危ない。忙しい時に限って商品の場所を尋ねるお客さんも多くて、まだ自分も売り場のことを把握しきれてないので、迷うことばかりです」
勤務時間は12~21時。休みは火曜と木曜日、時給は1000円だ(Iさんの県の最低賃金は2025年2月現在で956円)。
「以前は車で病院を回り、医師に薬の説明をする仕事でした。今は体を使う仕事だから大変です。もうちょっと給料がよければいいんですけどね。でも製薬会社にいた時よりは、プレッシャーからは解放されています。物足りなさはありますが、今の時給では仕方がないですよね」
知的労働から肉体労働へ。シニアが労働参加する際には、体力が求められる。
居場所を失う50代社員
Iさんが長年勤めてきたMRは、転勤が多い職種である。Iさんは西日本を中心に3~5年ごとに、県をまたいだ転勤を経験してきた。
「最後には西日本のある県にいたのですが、そこの上司がちょっとしたことで怒鳴る人で。私よりも5歳くらい若い人でした」
会社は年功序列が廃止され、Iさんの周りも30~40代の管理職が増えていた。Iさんたち50代の社員は居心地が悪くなっていたという。
「50代の人は上手く立ち回る人間もいれば、いじめられる人もいました。半々くらいですね。目標を100%達成していても、『あなたは〇〇が足りない』とか難癖を付けられ、なぜかやり玉にあげられるんです」
その昔、女性社員は30歳までに「寿退社」をしないと、社内に居場所がなくなるという風潮があった。今は50代の社員がプレッシャーをかけられる時代なのだろうか。
「かつては私も、管内で営業成績トップだったこともあるんです。でもIT化が進んでから、社内が妙にせかせかしてやりにくくなった。パワーポイントやエクセルでこれまでの実績を報告するとか、社内テストを受けるみたいなのが多くなりました。辞める数年前にはセカンドライフなんとかっていう早期退職制度が導入され、それを勧められる機会が増えて」
早期退職プロジェクトの名称は「セカンドステージ・キャリア」「セカンドキャリア・プラン」「タレント・マッチング」といったカタカナが多い。カタカナ語には、実態をぼかす効果があるのだろうか。
「セカンドステージ」「キャリア」と言われると、未来への展望が開けるような錯覚を起こすが、実際には「解雇」臭を消そうとしているのだろう。
Iさんが社内でやりづらさを感じていた時に、追い打ちをかけるようにコロナ禍がはじまった。慣れないオンラインミーティングに、Iさんのやる気はさらに減退したという。
「私の会社は組合も弱く、泣きつく先もなかった。結局、早期退職に応じました」
退職金は手取りで1000万円。会社の確定拠出年金も2000万円あり、これらを手にIさんは長年勤めた会社を去ったのである。

