
イギリスのケント大学(University of Kent)で行われた研究によって、恋人が陰謀論に深くハマると、相手は同じ顔で同じ声なのに「そこにいるのに、もう別人みたいだ」と感じるほど、関係が揺らいでしまうことがあると分かってきました。
研究チームが、陰謀論を強く信じる人のパートナー/元パートナー体験を聞いたところ、約8割にあたる13人はすでに関係が終わっており、その13人のうち11人は「別れの直接の理由は、相手の陰謀論へののめりこみだった」と語っています。
これは「意見が違うからケンカする」程度の話ではありません。
研究では、陰謀論にはまってしまった相手との議論が消耗戦になり、話題を避けても日常のあらゆる出来事が陰謀の材料に変わって会話そのものが成り立たなくなってしまう様子が示されています。
もし大切な人がこうした世界に入り込んでしまったら、私たちはどう向き合えばいいのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年12月12日に『British Journal of Social Psychology』にて発表されました。
目次
- なぜ議論が通じないのか──陰謀論が「世界の土台」になる瞬間
- 陰謀論によって恋人関係が壊れていく4つのパターン
- 失われたのは恋人か、それとも「共有していた現実」か
なぜ議論が通じないのか──陰謀論が「世界の土台」になる瞬間

たとえば、夕飯のあとに何気なく「最近さ、ニュース見た?」と振っただけなのに、返ってくるのがニュースの話じゃなくて「それは裏で操ってる連中がいて…」という長い長い“別の物語”だったらどうでしょう。
しかも相手は真顔で、こちらの返事を待つというより「今すぐ君も目覚めてほしい」と迫ってくる。
最初は「いやいや、落ち着いて。根拠は?」と普通に会話しようとするはずです。
ところが、こちらが根拠を出せば出すほど、相手は「それこそが仕組まれた情報だ」と言い、話はどんどん脱線して、最後には気力だけが削られていく。
こうなるともう、論理的な議論というより“終わらない疲労テスト”です。
コラム:なぜ陰謀論を信じる人には議論が通じないのか?
「ちゃんとしたデータを見せれば、さすがにわかってくれるはず」そう信じてニュースや論文をプリントして持っていったのに、返ってくるのは「それは支配側のメディアだ」「その専門家も買収されてる」──陰謀論を信じる人を相手にするとそんな展開が決まって繰り返されます。では、なぜこんなことが起きるのでしょうか。ポイントは、陰謀論が単なる一つの意見ではなく、「世界の見え方ぜんぶを支える土台」になってしまっていることです。ふつう私たちは、何か新しい情報に出会うと、「本当かな?」と問い直しながら、少しずつ考えを調整していきます。ところが陰謀論に深くはまった人は、その逆の動きをしがちです。自分の信じている物語に合う情報だけを集め、合わない情報は「ウソ」「でっち上げ」「買収された専門家」として片づけてしまいます。このように、事実そのものが届かないのではなく、「届いた瞬間に別の意味に翻訳されてしまう」ため、外からの議論がほとんど効果を持ちにくくなります。関連研究ではこれを「ラビットホール症候群」、つまり、陰謀論の“穴”に落ちたあと、信念がどんどん加速し、外からの情報を受けつけにくくなる状態として説明しています。もう一つ大きいのは、陰謀論がその人のアイデンティティ(自分らしさ)とくっついてしまうことです。「自分は真実を知っている側だ」「自分は目覚めた人間だ」というイメージに、強くプライドを感じるようになると、それを手放すことは「ただ意見を変える」のではなく、「今までの自分を否定する」ことになります。「自分はずっと戦ってきた」「周りは敵だらけだ」と信じてきた場合、その物語を捨てるのは、いわば心の大手術レベルの痛みを伴います。そのためどれだけていねいに現実世界の証拠を示されても、心の奥では「ここで引き下がったら、自分のこれまでの人生はなんだったんだ」とブレーキがかかってしまうのです。
こうした話が広がる理由について、心理学では「人は不安なときほど、安心したい」「はっきり分かりたい」「仲間がほしい」という三つの欲求が強まり、その“答え”として陰謀論が魅力的に見えることがある、と説明されます。
新型コロナウイルスのパンデミックや戦争、選挙などで陰謀論が顔を出してくるのは、人々の不安が高まっているからだとも言えるでしょう。
また陰謀論はその本質に「複雑な世界を複雑に説明する」代わりに「複雑な世界の全てを簡単な物語にしてしまう」という構造が潜んでいます。
現実の社会問題や科学の話は、本来たくさんの要因がからみ合っていて、「これだけが原因です」とは言い切れません。
ところが陰謀論の物語は分かりやすいストーリーに世界を押し込めてくれるので、考える手間がぐっと省けてしまうのです。
これまでに行われた研究では、特に認知機能(知能テストなどの成績)が低い人や、じっくり考える習慣(反証的思考や分析的思考)が薄い人などが、この誘惑に引き寄せられやすい傾向も示されています。
ところが皮肉なことに、陰謀論はその欲求を満たすどころか、時間が経つほど不安や混乱を増やしてしまうことがある、とも示されています。
「真実を知ったから安心」ではなく、「もっと裏があるはずだ」で緊張が続いてしまうからです。
この“扉”が社会の側で開くと「世界を裏で操る闇の政府」や「ピザ屋で進む国家規模の陰謀」や「ワクチンに精神支配のためのチップが含まれている」といった言説が飛び交うようになります。
またそれを信じてしまった人々が「正義のために」立ち上がってしまった場合、攻撃や暴力を正当化しやすくなることすらあります。
しかし陰謀論の影響は「社会」に留まりません。
最近では「人間関係」へのダメージも問題視されるようになってきました。
陰謀論を信じると、周囲から「だまされやすい人」「偏った人」と見られ、仕事上の信頼を失うこともあります。
加えて海外のニュースやインタビューでは、「陰謀論にハマった母親が、娘を“悪の手先”だと決めつけて絶縁した」「コロナ禍で陰謀論にのめり込んだせいで、30年来の親友関係が壊れた」といった、家族や友人関係の崩壊ストーリーがたくさん報じられています。
最近の研究でも、「陰謀論を本気で言い出した場合、周囲の人々はその人と距離を置きたくなる」という結果が出ていて、陰謀論が人間関係にヒビを入れる可能性は、すでに科学的にも示されてきました。
ただ、ここまで「陰謀論と人間関係の崩壊」について詳しく調べられてきたのは、主にアメリカ発の過激な運動である「Qアノン」に関するものが中心でした。
コラム:Qアノンとは何か?
Qアノンは、アメリカ発のかなり極端な陰謀論ムーブメントです。始まりは2017年、掲示板サイトに「Q」と名乗る正体不明の人物が、「自分は政府の極秘情報にアクセスできる内部関係者だ」と書き込みを始めたことでした。Qは「アメリカ政府の内部には“ディープステート”と呼ばれる悪い勢力がいて、有名人や政治家、富豪たちと組み、悪魔崇拝や小児性愛、人身売買などの恐ろしい犯罪を行っている。そしてトランプ大統領は、それとたたかう唯一の英雄であり、「彼は表では叩かれているけれど、裏では悪のネットワークを一掃するために戦っている」という内容に続きます。日本人にとっては信じがたい内容ですが、その信奉者は少なくありません。
また調査されていた人間関係は「家族・友人・恋人」など全体をひとまとめに扱っていて、特定の関係、たとえば「恋人や夫婦の関係に及ぼす影響」など細かい要素については不明のままでした。
恋人や夫婦という関係には、他にはない特徴があります。
元々は他人だった2人が生活費を支え合い、ときには子どもを一緒に育て、病気になれば看病し合う――たとえば医療やワクチン、環境問題や政治的な価値観などをめぐって、日常のささいな選択から人生の大きな決断まで、共有しなければならない場面が山ほどあります。
もしその片方が陰謀論にはまってしまうと、そのダメージは友人関係や職場よりもずっと大きくなるかもしれません。
そこで今回の研究では、陰謀論を信じるようになった人と付き合っていた人に直接話を聞き、その“となり側”で何が起きているのかを探ることにしたのです。
もし、陰謀論が本当に恋人関係を内側から食い荒らしているとしたら、その前触れはどんな形で現れるのでしょうか。
ふたりの会話は、どの瞬間から「同じ現実を共有するおしゃべり」ではなく、「別々の世界の実況中継」に変わってしまうのでしょうか。
陰謀論によって恋人関係が壊れていく4つのパターン

陰謀論は恋人関係をどのように変えてしまうのか?
答えを得るために研究者たちは、陰謀論を信じる人のパートナー(または元パートナー)17人に、音声や映像でじっくり話を聞きました。
話された内容は文字に起こされ、「似た話はどれか」「何が繰り返し起きているか」を付せんのように整理し、いくつかの大きな流れにまとめていきます。
いわば、バラバラの体験談から“共通のパターン”を掘り当てる作業です。
その結果、4つの大きな共通パターンが見えてきました。
最初に現れるのは、陰謀論による「関係のこじれ」でした。
多くの参加者は「事実を見せれば分かってくれる」と思い、記事や資料を示して議論します。
ところが現実は逆で、何を見せても「それは仕組まれた情報だ」「主流メディアにだまされている」と跳ね返され、話し合いは空回りしがちでした。
「どんな証拠を見せても、彼の信じたい話と少しでも合わなければ『それは大手メディアのウソだ』『影の政府に金をもらってるだけだ』と言われるんです。そのうち、“ああ、これはもう完全にムダなんだ”って、はっきり分かってしまいました。」ある参加者の言葉
しかも議論が長引くほど、相手の言い方がきつくなり、「洗脳されている」「羊だ」「敵だ」といったレッテルまで飛んでくる。
こうなると、会話は“交換”ではなく“攻撃”に変わります。
耐えきれずに「その話はしない」と避けると一時的に静かになるのですが、次の問題は、陰謀論が日常のあらゆる話題にくっついてくることでした。
ニュースだけでなく、健康、学校、街の出来事まで何でも材料になるので、避けようとしても避けきれないのです。
そして、このひずみが深まった先で起きるのが、研究者たちが「心理社会的な死」と呼んだ感覚です。
言い換えれば、相手の体は同じなのに、性格や世界の見え方が別物になっていくことを示します。
動画や投稿を追いかけるのが生活の中心になり、家族や友人とも距離ができ、怒りっぽく、攻撃的で、でも同時に怯えるようになることもあります。
その結果、当時のパートナーを「知らない人みたい」「入れ替わったみたい」と表現する人までいました。
「彼女は“私は何も変わってない”って言うんです。でも、本当に同じ人なんでしょうか。人って、信念とか、願いとか、世界の見え方で形づくられていると思うんですよ。それが全部ガラッと入れ替わってしまったとき、それでも“同じ人”って言えるんでしょうか。」ある参加者の言葉
2つ目のは「信じていない側へのダメージ」です。
相手を説得しようとする努力は、精神力を削ります。
眠れない、強い不安や慢性的なストレスが続く、気分が落ち込む、お酒が増えるといった話が出てきます。
さらにやっかいなのは、相手があまりにも確信に満ちているために、「もしかして自分のほうがおかしいのか?」と自分の感覚まで揺らいでしまうことです。
近い人ほど、私たちは「同じ現実を見ている」という感覚で支えられています。
そこが崩れると、足場ごとぐらつくわけです。
「私はただでさえ不安になりやすい性格なのに、彼が延々と陰謀の話をするせいで、もっと不安になってしまって…。夜も眠れなくて、お酒の量がどんどん増えていきました。」ある参加者の言葉
子どもがいる場合は、負担がもう一段重くなります。
陰謀論の内容が医療に関わると、予防接種や受診をめぐって現実のリスクが生まれるからです。
研究では、子どもが予防できたはずの病気で入院した、という切実な語りもありました。
恋人関係の問題が、家庭の安全設計そのものになってしまう瞬間です。
3つ目は「理解しようとする努力」です。
ここが少し皮肉で、でも人間らしいところです。
パートナーたちは、陰謀論を論破するためというより、「なぜこんなことになったのか」を理解して自分を保つために、陰謀論や発信者について徹底的に調べ始めます。
結果として、当事者が“陰謀論の専門家”みたいになってしまう。
さらに相手を、依存やカルトのようなものに巻き込まれた「利用される側」と見なし、発信する側を「もうけのために不安を売っている人たち」と捉える語りも目立ちました。
恋人への情があるからこそ、「あなたが悪い」と切り捨てるより、「何かに絡め取られた」と理解したくなるのかもしれません。
4つ目は「支援探しと終わり方」です。
友人や家族に相談できた人もいますが、「それくらいで?」と軽く扱われたり、逆に「あなたが止められなかったの?」と責められたりして、孤立するケースもありました。
ネット上の支援コミュニティに救われた、という声が出る一方で、現実社会では“理解されにくい悩み”になりやすいのです。
最終的に多くの関係は悪化し、実際にインタビュー時点で多くが別れていました。
ただし、離れたくても、長い交際歴、子ども、お金、住まい、在留資格などの事情が壁になり、簡単には終われない場合も語られています。
そして別れた後には、「地獄の一年が終わってやっと眠れた」という安堵と、共同で子育てを続けなければならない現実的な苦労が、同時にやってくることもありました。
では、これらは結局何を意味するのでしょう。
ポイントは、陰謀論が「ひとつの意見」ではなく、「世界を見るための眼鏡セット」になりやすい点です。
眼鏡が違えば、同じ出来事を見ても意味が変わります。
こちらが“根拠”だと思って差し出したものが、相手の世界では「仕組まれた証拠」として即座に無効化される。
こうして二人は、同じ家にいながら別々の現実に住むことになります。
恋愛や夫婦関係がうまく回るために必要な「現実の共有」が崩れたとき、衝突、沈黙、喪失感、そして消耗が連鎖していく――研究が描いたのは、その“壊れ方の地図”でした。

