
遺伝子の設計図には、実は二重の暗号が書き込まれていました。
日本の京都大学・理化学研究所を中心とした国際チームで行われた研究によって、第2の暗号を読み取り特定の遺伝子を口止めして抹殺する新たな「遺伝子の口封じ機構(DHX29)」がヒトにおいて特定されました。
この仕組みのお陰で、同じアミノ酸を指定する3文字であるのに、なぜある遺伝子は活発に働き、別の遺伝子は静かに消えてしまうことになります。
この仕組みを上手く制御できれば、ワクチンの効果をアップさせたり、がんや自己免疫疾患の治療にも効果が出る可能性があります。
研究内容の詳細は2026年3月19日に『Science』にて発表されました。
目次
- 同じ言葉なのに「殺される文」と「生き残る文」がある
- 受付をしているやさしいオジサンが殺し屋への通報役だった
- 「mRNAワクチン、がん、そして自己免疫疾患」への応用
同じ言葉なのに「殺される文」と「生き残る文」がある
私たちの体の設計図はDNAに書かれています。
DNAは約30億文字からなる巨大な「レシピ本」のようなもので、そこには約2万種類のタンパク質(体を動かす部品)の作り方が書かれています。
でも、DNAは直接タンパク質を作るわけではありません。
工事現場で例えると、DNAは「金庫に保管された工場全体の設計図」で、各細胞の核に保管された貴重品です。
そんな貴重品を部品を組み立てるごとに引っ張り出すのは、かなりのリスクです。
そこで私たちの細胞は大元の設計図ではなく、一部をコピーした「設計図の部分写し」としてmRNAという分子を使用します。
人間の大工さんなら、この部分写しとにらめっこしながら、木材を切り出し、形を整え、担当する区画を構築していきますが、細胞はもう少しオートマチックです。
設計図の部分写し(mRNA)を部品自動組み立てマシーン(リボソーム)に差し込むだけで、組み立てマシーンが設計図の情報を読み取りつつ、しかも材料であるアミノ酸をどんどん取り込みながら次々に繋げて、タンパク質を作ってくれます。
ではどうやって情報を読み取っているかというと、基本にあるのは3文字セットのコードです。
たとえば「GCT」という3文字セットがあればそれは「アラニン」というアミノ酸を指定することになります。
DNAの暗号は4種類の文字が長く長く繋がっていますが、タンパク質の情報が書かれている部分は、基本的にこの3文字セットが延々と続く形で情報が記述されています。
人間の体を作るのに使われているアミノ酸は20種類あります。 「A・T・G・C」の1文字が1つのアミノ酸に対応しているだけなら、4種類のアミノ酸しか使えません。
そこで文字を組み合わせて、複数のアミノ酸を指定できるようにしているわけです。

しかし問題はここからです。
4種類の文字を3つ並べる組み合わせは4×4×4で合計64通りあります。
このうち3つは「ここで翻訳終了」を意味する終止コドンなので、アミノ酸を指定するのに使えるのは61個です。
これで20種類のアミノ酸を指定すればいいので、41個分が「余ってしまう」わけです。
そこで生命はダブりを許可しました。
先ほど「GCT」がアラニンに対応すると言いましたが、実はアラニンを指定するコドンは「GCT」の他に「GCC」「GCA」「GCG」とあわせて4種類も存在しているのです。
英語で「look」「see」「watch」がどれも「見る」というニュアンスになるように、「GCT」「GCC」「GCA」「GCG」はスペルが違ってもどれもアラニンというアミノ酸を持ってこいという指示になるわけです。
生物学者たちはこれを長らく「ただの冗長性(あそび)にすぎない」と考えていました。
教科書でもこう教えます――「どのスペルを使っても、作られるタンパク質は全く同じ」と。
ところが以前から、どれを選ぶかで遺伝子の活発さが大きく変わることが観察されるようになりました。
特にヒトの細胞ではGやCで終わるコドンを使うと遺伝子は活発に働き、AやUで終わるコドンを多用すると、なぜかその遺伝子の部分写し(mRNA)が作られても早々に分解されてしまい、結果としてタンパク質がほとんど作られないのです。
「意味が同じコドンなのに、なぜ結果が違うのか」――これがヒト細胞において長年解けない謎として残っていました。
受付をしているやさしいオジサンが殺し屋への通報役だった

京都大学の竹内理氏、吉永正憲氏、理化学研究所の伊藤拓宏氏らのチームは、この犯人探しに容赦ない手段で挑みました。
ヒトの全遺伝子を一つずつ潰し、「どれを潰したら不良品mRNAが生き延びるようになるか」を片っ端から試したのです。
すると、浮かび上がったのは、まさかの「受付係」でした。
先に述べたようにDNAの情報はいったん「mRNA」にコピーされます。
そのコピー用紙を「リボソーム」という製造機械が読み取り、アミノ酸を順番につなげてタンパク質を完成させます。
今回主役となるDHX29は、これまで「この組み立てマシーンに設計図をセットする受付係」だと思われていました。
具体的に言うと、mRNAという設計図の写しには、たまに折れ曲がったり絡まったりした「くせ字」の部分があります。
そのままではマシーンが差込口から読み込めないので、DHX29がそのしわを伸ばし、マシーンの読み取り開始位置までmRNAを正しくセットしてあげる――そんな工場入り口の受付兼セッティング係というのが、2008年以来ずっと彼に与えられていた肩書きでした。
ここまではよくいる親切なオジサンの話ですが、今回の研究で彼にはもう一つ、誰も知らなかった顔があったことが発覚します。
話を進める前に、もう一度あの謎を思い出してください。
ヒトの細胞では、GやCで終わるコドン(優等生スペル)で書かれた設計図はタンパク質をちゃんと作れるのに対し、AやUで終わるコドン(劣等生スペル)ばかりで書かれた設計図は、なぜかタンパク質がほとんど作られないという現象がありました。
この差を素直に説明しようとすれば、こういうイメージになります。
優等生スペルの区間では、材料であるアミノ酸を運ぶ配送トラック(tRNA)が高速で搬入口に到着するのでライン作業がサクサク進む。
一方、劣等生スペルの区間では、読みにくさのせいでトラックの到着が少し遅れ、ライン作業が鈍る――。
しかしこれはあくまで製造速度の話で、本来なら少し遅れるだけで済むはずです。
ところが現実の細胞では、劣等生スペルを多く含む設計図は「少し遅れる」どころか、製造が完全に止まり、しかも設計図自体まで消えてしまうことがあります。
まるでAやUで終わるコドンの多い部分設計図(mRNA)を狙う処刑人がいて、抹殺しているかのようです。
では、その処刑人は誰なのか。
ここで、今回の研究で顕微鏡が捉えた衝撃の光景に戻ります。
リボソームの搬入口を覗いてみると、そこには「受付のやさしいオジサン」だったはずのDHX29が、堂々とアミノ酸を積んだトラックの「搬入口」居座っていたのです。
しかも彼が座り込むのは、ただの巡回ではありませんでした。
優等生スペルの区間では、配送トラックが途切れなく到着し続けるので、DHX29は搬入口に割り込むことはありません。
ところが劣等生スペルの区間では、トラックの到着が鈍ります。
その「空いた一瞬」をDHX29は見逃しません。
ぽっかり空いた搬入口に、すっと自分が腰を下ろしてしまうのです。
ここからが処刑の始まりです。
搬入口に陣取ったDHX29は、次に電話を一本かけます。
呼び出されるのはGIGYF2・4EHP複合体という執行班。
彼らはmRNAのてっぺんにある「キャップ」と呼ばれる構造にフタをかぶせて組み立てマシーンの稼働を止め、設計図そのものを分解装置へと容赦なく送り込むのです。
つまりDHX29は、スペルを直接読んで優劣を判定しているわけではありません。
「搬入口がなかなか埋まらない」というサインを嗅ぎつけて、その設計図が劣等生スペルだらけであることを間接的に見抜いていた、というわけです。
やや映画チックに言うなら、受付のやさしいオジサンだと思っていた人(DHX29)が、配送トラックが遅れて入り口が空いた瞬間――つまり劣等生(AやUで終わるコドン)が並んでいると気づいた瞬間――に入り口をふさぎ、処刑人(GIGYF2・4EHP複合体)を呼び寄せ劣等生の頭に袋をかぶせて分解装置に投げ込むというわけです。
こうして劣等生スペルで書かれた設計図の写しは、誰にも気づかれないまま、静かに破棄されていたのでした。
酵母のような単純な生物では以前から別系統の処刑人が知られていましたが、ヒト細胞でそれと異なる新しいmRNAの処刑機構が見つかったことには大きな意味があります。
それは次ページで紹介する「mRNAワクチンの効果アップ」や「がん治療」さらに「自己免疫疾患の治療」にもかかわる発見になり得るからです。

