一年間を見通して子どもの成長を見守る
それでも、市の福祉関係部署や巡回相談に来る特別支援学校の先生、彼が利用しているデイサービスなどにも状況を伝え連携をとっていきました。それは彼の日常的な暴力を抑え込むためや、私ひとりが我慢すればいいと考えていたからではありません。
なぜなら彼との関係性は、私にとって決してすべてが悪いものではなかったからです。彼を実際に担任し始める前、引き継ぎの段階で就学前から、「そういう特性のある子」だということは聞いていました。さらにそれまでの学年では「自由にさせていた」と言います。
要は、ほうっておかれていたんです。本人のやりたいようにやらせた結果、教育活動に入れなくてもしょうがないと。
ただ、私も菊池先生から学んでいる者のひとりとして「彼と向き合おう」ということを決めました。
まずはその子にとって、話を聞いてくれる人がいる状況をつくるべきと判断しました。しかし、1学期の最初のころは音楽室や理科室に移動して話をしようと提案しても「行きたくない」と言って教室で寝転がってタブレットで遊んでしまいます。
それでも徐々に彼は私の提案を受け入れるようになりました。日常生活での雑談や、「将来何になりたいの?」といった話がきっかけでした。その子を知るというところに時間をかけたのです。
また、その子の細かな行いをずっとほめ続けていくこともやりました。教室で、全員がいるところで彼をほめてもなかなか本人がピンとこないところがあったので、1対1になる機会にこういった内容を伝えました。
「あのときこんなことを頑張ってたよね」
「あと、こういうふうにできればもっとすごいよね」
「あなたはもっと活躍できる」
「私があなたのことを大事に思っているよ」
菊池先生がおっしゃる「一年間を見通して子どもの成長を見守る」という話もおおいに参考になりました。一年間の中で子どもが暴れやすくなる時期、というのがあります。そのひとつが6月です。季節の変わり目で、じめじめする。メンタルもちょっと不安定になりやすいものです。私もそれをわかって、うまくかわしにいくことも考えました。
とはいえ、彼は早くも5年生の1学期から2学期のあいだに変化を見せていました。「ほめ言葉のシャワー」の1回目を行ったあとからです。私は当初、いきなり「帰りのホームルームの時間に日直を言葉でほめる」という本来のかたちでのこの実践をやるのは難しいと判断し、最初は子どもたちが手紙でほめる、という形式で進めていました。
学級の子どもたち、一人ひとり違っていい—
彼はもらった手紙をずっと大事に持っていたり、時には黒板に張り出したりして喜んでいました。ほめられるといった経験があまりなかったのだと思います。そこから「自分が教室に存在してもいいんだ」「教室内で自分が認められているんだ」という意識がちょっと出てきて、変わっていった感じはあります。
2年間担任して、じつのところ彼が毎時間ずっと授業に参加するという状況にはなりませんでした。それでも、話し合いの授業には参加するようになりましたし、他の先生が教科を教えるような時間でも普通に自分から参加するようになりました。
なかでも「海の命」という国語科の物語教材のディベートでは、主人公の気持ちが大きく変わったところはどこかについての議論に自分から参加して、意見を言ったりもしていました。ほめ言葉のシャワーにも積極的に参加して、クラスメイトをほめるようになったのです。
学級の子どもたち、一人ひとり違っていい—。私にとって菊池先生の教えが大いに力になった事例なのです。
「朝日新聞」は「暴れる子ども苦悩する現場」という記事を掲載しました(2025年4月7日朝刊)。文部科学省の「2023年度調査の子どもの学校での暴力行為が約7万件」という発表を受けての記事でした。
そこでは、関西地方の小学校の校長先生への取材内容が記されていました。子どもから先生への暴力ではなく、子どもが暴れる様子でしたが、「ここ数年でも、4年生の男児が友人に腹を立てて教室の窓ガラスを、別の児童がガラス戸を割った」という内容です。
その校長先生は言います。
「(子どもたちは)気持ちを言葉でうまく伝えられない傾向があるのでは」
さらに記事は、校長先生が考えるところをこう続けています。
「最近の授業を見て感じることがある。児童に対話させようとすると『どう話せばいいか分かってない』と感じる。タブレット端末を持つ子どもたちは授業中、端末の画面を見つめ、意見を打ち込む。教員も画面を見つめることが増えた。児童同士の会話や、教員の働きかけが減った、と思うという」
この学校でも、窓ガラスを割った男児の言葉にできない思いを代弁するよう先生から声かけした結果、「暴力はなくなった」としています。やはりコミュニケーションは必要なのです。
文/菊池省三 写真/PhotoAC

