
あなたは「一緒にいて楽な人」でしょうか。
それは誉め言葉であり、周囲からも人気でしょう。
相手に合わせるのがうまく、感情的になりにくく、空気も読める人は、恋愛でも友人関係でも「付き合いやすい人」と見なされます。
しかし、米国の心理学者マーク・トラバース氏は、こうした「楽な人」でいることが、長い目で見ると見えにくい心理的負担につながることがあると解説しています。
彼は、相手に合わせられること自体の良さを認めつつ、それが行き過ぎたときにどんなデメリットが生まれるのか、3つの観点で教えています。
目次
- 「楽な人」は”自分”が分からなくなる
- 怒らない人ほど、静かに不満がたまりやすい
- 「一緒にいて楽」でも、深くは知られない
「楽な人」は”自分”が分からなくなる
まず、「一緒にいて楽な人」とはどんな人なのでしょうか。
一般には、柔軟で、相手の都合に合わせやすく、感情を荒立てず、その場を穏やかに保てる人のことです。
こうした性質は、実際には高い対人スキルでもあります。
相手の気持ちを読み、必要以上にぶつからず、場に応じて振る舞いを変えられるからです。
ただし、問題はこの態度が「必要な場面で使うスキル」ではなく、「いつでもそうしていなければならない自分」になってしまうことです。
相手に合わせることが当たり前になると、自分の感覚を確かめる機会が少しずつ減っていきます。
たとえば、どこへ行きたいか、何を食べたいか、どんな休日の過ごし方が心地よいかといった、小さな好みです。
本来なら、こうした日常の選択は自分の感覚を手がかりに決めるものです。
ところが、いつも先に相手の都合を考えていると、自分の中の「私はこれがいい」が弱くなっていきます。
ここで参考になるのが、自己概念の明確さに関する研究です。
2023年の研究では、自分の考えや感情、価値観をどれくらいはっきり捉えられているかという「自己概念の明確さ」と、主観的幸福感との結びつきが調べられました。
その結果、自己概念が明確な人ほど幸福感が高い傾向がみられ、両者が関係していることが示されています。
つまり、自分が何を感じ、何を望んでいるのかが曖昧になっていくことは、心の満足感の低さと結びつく可能性があるのです。
ここで厄介なのは、本人がそれを「問題」だと感じにくいことです。
多くの場合、それは「私は柔軟だから」「相手に合わせられるから」と前向きに理解されます。
けれども、相手に敏感である一方で、自分には鈍くなっていく状態が続くと、人生の細かな選択がだんだん「自分のもの」ではなくなっていきます。
急に自分を失うわけではありませんが、少しずつ自分の輪郭が曖昧になっていき、同時に幸福でもなくなっていきます。
怒らない人ほど、静かに不満がたまりやすい
「楽な人」は、あまり怒らない人でもあります。
ケンカを避け、場の空気を悪くせず、多少の不満は飲み込んでしまうことが多いでしょう。
周囲から見ると、それは大人で落ち着いた振る舞いに見えます。
しかし、感情を抑えることには負担があります。
トラバース氏も、感情調整は認知的にも生理的にもコストを伴う行為だと説明します。
表に出さないからといって、その過程が無かったことになるわけではありません。
相手に合わせて反応をやわらげたり、がっかりした気持ちを小さく見せたりするたびに、内側では努力が積み重なっているのです。
この点に関係するのが、感情抑制に関する2009年の研究です。
この研究では、感情を表に出さない傾向が強い人ほど、他者からの社会的サポートが少なく、親密さも低く、社会的満足度も低いことが示されました。
つまり、衝突を減らすように見える振る舞いが、長期的には関係の質を下げる方向に働くことがあるのです。
ここで起きやすいのが、はっきり原因を一つに絞りにくい不満です。
大きな事件があったわけではないのに、誰かとの関係に疲れてしまうかもしれません。
相手が露骨にひどいことをしたわけでもないのに、心の底ではモヤモヤしている。そんな状態が生じていくのです。
トラバース氏は、こうした不満は「何がつらかったのか」という形で整理されにくいと説明しています。
いつも「大丈夫」「平気」と振る舞っていると、自分でも不満の正体をつかみにくくなるのです。
このように「楽な人」は、穏やかに見える一方で、内側では少しずつ不満や疲れをためこみやすいものです。
しかも、それは爆発的な怒りではなく、言葉にしにくい重たさとして残っていくのです。

