「死ぬという言葉を本人の前で言ってはいけない」……それが緩和ケアの正解だ。だが、常識の通用しない両親を前に、医師である著者はその禁を破る。「もうすぐ死ぬんやで!」――。半泣きで叫んだその言葉は、これから始まる怒濤の日々を生き抜くための、家族、そして自分自身への宣戦布告でもあった。
著者で緩和ケア医でもある岡山容子氏の書籍『毒親を在宅で見送った緩和ケア医が伝える 関係のよくない親を看取るということ』より一部を抜粋・再構成し、その体験談を記す。
母をどこで看取るべきか
2017年7月、「ふらつき」を訴えた母は、元の病院で再度検査をします。
このときに、年始に「抗がん剤なんてやっていたら病気になるわよ」と自己判断で治療を中断した母と再会します。場所は、母の主治医のいる病院の病室。担当医からだいたいの経過の話を聞きました。
MRI検査の結果は、脳転移によるがん性髄膜炎でした。がん性髄膜炎というのは、がん細胞が脳や脊髄を覆っている膜に広がった状態です。
脳に転移をしているので、もうがんは治る段階ではありません。いわゆる「末期がん」という状態です。
当然のことかもしれませんが医師である私には、その後のことがある程度予測がつきました。
だから、「命を延ばすため」ではなく、「今後、手足が動かなくなるのを予防するため」に放射線治療をすすめました。脳にがんが広がるにつれ、手足などが動かなくなってくるからです。
その後の生活が少しでもスムーズになるのを考えてのことです。
しかし母は、その放射線治療すら拒否します。さらにはすべての治療を拒否し、退院してしまうのです。
病院の先生方は、当たり前ですが私と同様の判断で、熱心に「手足が動かなくなるのを予防するため」の放射線治療をすすめてくださいました。医師という立場ですから当然といえば当然の行動です。
が、私は「子ども」の立場で、とうにあきらめていました。
「先生、本当にあの人、変わってるし、聞かないです。たぶん父ももう治療しないという本人の希望を聞き入れるでしょうし、治療をしなくていいんです。現代医療に対する根拠なき不信感も強いですし、治療をさせるのは無理です」
こう伝えて病院を変えることにしました。
「積極的な治療」をするのではなく「穏やかに看取る」ことを考えるなら、違う病院のほうがふさわしいからです。
死ぬのをわかってない母と怒鳴る父
堺市の両親の自宅の近所には、幸い私と同じく在宅医療に力を入れているクリニックがあったので、そちらにお世話になることに決めます。
そちらの先生には、両親は通院で時々お世話になっていたようです。母を「穏やかに看取る」方向性での在宅医療のお願いをし、先生は快く主治医となることを引き受けてくださいました。
そのとき、先生はこのようにも付け加えられました。
「しかしね、お母さんは『これからはがんと一緒に生きていきます』と言っていましたよ。残された時間がどれくらい短いか、ご本人はわかっていないのではと僕は思いました。まあ、あまり本当のことを言いすぎてやる気をくじくのも……と思ってそれ以上は口にしませんでしたが……。お母さんが自分の病気の深刻さをわかっていないことは、ご家族として知っておいたほうがいいと思います」
そう、母は、自分はがんとともに「生きていく」と思っていたようなのです。自分の寿命が短いとも思わずに。
私は心の中でこうつぶやきながら頭を抱えました。
「やはりね。わかってないな。自分がもう、本当に死ぬんだって、わかってない」
強い疲労感に包まれたことを今でもしっかり覚えています。
家に帰ると、母とはまた違うタイプの変わり者かつ自己中心的な父が、母に怒っていました。
父は重度の透析患者で通院しています。透析後はふらつきが出て自動車の運転が危ういので、母が車で送り迎えをしていました。
ところがこの日、母に運転を頼むと断ったため、父はすごく怒っていたのです。
「なんだ、お前! もう、俺のためには一生運転しないってことか! どういうことだ! 俺はお前が運転しなかったらどこにも出かけられないぞ!」
という内容のことを泉州弁でまくしたてています。
「ああ、この何も理解していない人たちに何をどこから説明したらいいものやら」
わが両親を目の前にすると言葉が出てきません。

