
アメリカのスタンフォード大学(Stanford University)で行われた研究によって、ある細菌が、お手本となるDNAもRNAも一切使わずに、自分の体の一部を”文字の代役”にしてDNAを紡ぎ出していたことが明らかになりました。
これは70年近く、生物の教科書の中心にあり続けた「DNAを作るにはお手本となる核酸が必要」という基本ルールに、強い例外を突きつける発見です。
数千文字に及ぶ長いDNAを、タンパク質の形だけを頼りに正確に紡ぎ出す仕組みが見つかったのは、今回が初めてです。
研究を率いたアレックス・ガオ博士は「タンパク質そのものが、DNA配列の設計図として働いていたのです」「生命がDNAを作る、根本的に新しい方法です」と述べています。
なぜ細菌はそんな離れ業を身につけたのでしょうか。
その答えは、目に見えない世界で繰り広げられている、壮絶な戦いの中にありました。
研究内容の詳細は2026年4月16日に『Science』にて発表されました。
目次
- DNAは「お手本をなぞって」作る、というのが常識だった
- お手本なしで、正確な繰り返しを作る酵素
- アミノ酸が「文字のフリ」をしてDNAの鋳型になっていた
- なぜ細菌は、こんな変わった仕組みを身につけたのか
DNAは「お手本をなぞって」作る、というのが常識だった

生物の授業を思い出してみてください。
DNAの複製について、先生はだいたいこんなふうに説明したはずです。
「はしご状のDNAが、真ん中でパカッと割れて2本になる。そのそれぞれがお手本になって、相手をコピーしていくんだよ」
そして必ずセットで教わるのが、「AにはT、GにはCしかくっつかない」という鍵と鍵穴のような絶対ルール。
お手本の文字列を、1文字ずつ相方に翻訳していく――これがDNAの作り方の大原則でした。
この仕組みが解明されてから半世紀以上、教科書はずっとこう書いてきました。「長いDNAを規則正しく作るには、お手本となる核酸(DNAかRNA)が必要である」と。
これは生命の情報伝達を支える、ほとんど揺らいだことのないルールでした。
ところがスタンフォード大学のアレックス・ガオ博士のチームは、細菌の中に、このルールを堂々と破っている酵素を見つけてしまったのです。
その酵素は、お手本を一切使わずに、自分自身の体の形だけを頼りに、正確なDNA配列を作り出していました。
ガオ博士は素直に驚きを口にしています。
「これは本当に驚きでした。生命がDNAを作る、根本的に新しい方法です」と。
お手本なしで、正確な繰り返しを作る酵素

この酵素が棲んでいるのは、私たちの目には見えない、しかし熾烈な戦いが繰り広げられている世界でした。
細菌にとっての最大の敵は、「ファージ」と呼ばれるウイルスです。
ファージは細菌に取りついて遺伝子を注射のように打ち込み、内側から細菌を乗っ取って自分の仲間を大量生産します。
乗っ取られた細菌は、最後には破裂して死んでしまいます。
細菌たちは何十億年ものあいだ、このファージと命がけの戦いを続けてきました。
そのなかで、実にさまざまな防衛システムを進化させてきたのです。
ちなみに、いま遺伝子編集で話題になっている「CRISPR」も、もとは細菌がファージに対抗するために使っていた免疫システムのひとつでした。
細菌の防衛術は、人間にとってじつは宝の山なのです。
今回ガオ博士たちが調べたのは、「DRT3」という名前の防衛システムでした。
DRT3を持つ細菌を観察していると、奇妙なことが起きていたのです。
細菌の中で、「GT・GT・GT・GT……」という、縞模様のようにリズミカルな繰り返しのDNAが、黙々と作られていました。
しかも、試験管の中で詳しく調べてみると、千文字を超える長いひもまで作り出せることがわかったのです。
これは何のためのDNAなのか。
どうやって作られているのか。
研究チームはこの謎を解くために、DRT3の正体を徹底的に調べていきました。
するとそれはひとつの酵素ではなく、3つの部品が組み合わさったチームだとわかりました。

「Drt3a」と「Drt3b」という2つの酵素と、「ncRNA」という小さなRNAです。
この3種類がそれぞれ6個ずつ、合計18個の部品が集まって、精密時計のような美しい対称構造の「分子マシン」を作っています。
そして2つの酵素は、まったく違う働き方をしていました。
片方のDrt3aは、比較的おとなしい存在でした。
ncRNAの中にある短いお手本区間を何度も使い回して、「GTGTGT…」というひもを紡ぎ出す。
ちょうどスタンプを繰り返し押すようなやり方で、これは教科書のルールの範囲内です。
衝撃は、もう一方のDrt3bでした。
Drt3bは、Drt3aが作るGTひもの相方となる「ACACAC…」というひもを作ります。
当然、研究者たちは「ここにもお手本があるはずだ」と思って、クライオ電子顕微鏡という最先端の機器で、DNAが作られている現場の姿を、原子レベルの精度で捉えました。
ところが、Drt3bのまわりには、お手本になるDNAもRNAも、影も形もなかったのです。
それどころか、よく構造を調べると、本来ならお手本が通るはずの空間そのものが、Drt3b自身の体でふさがれている。
つまりDrt3bには、お手本を置く場所すら存在しなかったのです。
にもかかわらず、Drt3bは「A、C、A、C、A、C……」と、狂いなく交互に文字を並べていく。
これは一体どういうことなのでしょうか。

