「死んだ後にどうしてほしいか」を本人に聞くことは、重要だとわかっていても簡単なことではない。そこには本人の覚悟の有無、家族との「関係性」という高いハードルがあるからだ。母から「怖い」と警戒されていた緩和ケア医が、あえて自分ではなく姉に最期の聞き役を託した理由とは。
岡山容子氏の書籍『毒親を在宅で見送った緩和ケア医が伝える 関係のよくない親を看取るということ』より一部を抜粋・再構成し、母が亡くなる1週間前にあったことを記す。
亡くなる1週間前のこと
少し前に意識不明になったにもかかわらず、意識が戻った母。夜にはトイレまで歩いて行き、歯磨きまでできるようになりました。
そして、叔父とも会話をして、抱き合って再会を喜んでいました。
このものすごい回復力は、あとから振り返れば、「抗がん剤などの治療をほとんどしていないから元気だったということなのかなあ」などと思いました。
あるいは、1瓶3万円くらいする「すごくよく効く乳酸菌」とか、正体不明の真っ黒の「ヨウ素」の液体とかが効いているのかも、と思ったりもしましたが……。
はたまた、もしかすると「アタシ死なないわよ」と自信たっぷりに言っていた根拠である「祈祷」の効果が発揮されたのかも……。
そんなことがチラリと頭をよぎったのも事実です(苦笑)。
葬式とお墓はどうしてほしい?
さて、母が意識不明になる直前に「母が亡くなったらどうする?」ということも話題になりました。
父が京都のサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)に入居するときの移動の車中で、母の死後のことについて話していました。葬儀をどのようにするか、お墓をどうするかなどです。
約20年前に祖母の葬儀をしたときの父のグダグダぶり。喪主なのに酔っぱらってパイプイスから転げ落ちる、準備も何もせず、あまりの準備のできていなさにお坊さんに当時20代の私たち姉妹が怒られる始末でした……。
あのグダグダが再度起こることを想像し、決めておかないと大変だぞ、と思ったからです。
私は葬儀を京都の私の自宅で行うことを提案しました。父母の自宅は狭いのと、遺体を京都から堺まで搬送して葬儀を行うのが大変そうだからです。父もそれでよいと答えました。
一方のお墓については、父は「代々の墓に入れる」と言いました。
しかしながら、母は祖父母と揉めに揉めた過去があります。「母はあんな祖父母と同じ墓に入りたがるだろうか?」という疑問がありました。
そこで、母が意識不明から回復したのを幸い、姉が見舞いに行ったタイミングで葬儀やお墓についての希望を姉に聞いてもらいました。
母は脳転移の影響で認知機能の低下症状が出ていたのですが、それでもはっきりと姉に対して「お墓、家のお墓に入りたーい。入りたいわあー。堺に帰りたいわあ」と子どものように言ったそうです。
それも、父が透析治療に出かけて不在のときに言ったので、父に遠慮しての発言ではなく本当の気持ちでしょう。
この母の希望を尊重し、葬儀も京都ではなく堺ですることにし、お墓も代々の墓に入れることにしました。
堺の実家の隣の一家が、家を片付けてくださるなど、多大なる助力を申し出てくださったことも大きいです。
周囲の方々の支援に恵まれてできることです。本当にありがたいことです。

