政府や厚労省関係者は「世界に冠たる」と日本の国民皆保険制度を自画自賛する。だが、少なくとも自己負担額に関する限り、この制度が国際的に最も優れたものとはいえないと指摘するのが、ジャーナリストで自身も高額療養費制度を利用する、西村章氏だ。
自称「世界に冠たる」国民皆保険は、日本と同じように社会保険で医療保険制度を運用するドイツと比較してみると、いったいどんなふうに見えてくるのだろう。2008年から日本に在住し、日独両国の保険制度を身をもって経験してきたマライ・メントライン氏に話を聞いた。
年収600万円の場合だと、5千円が月の上限となるドイツの医療費制度
――医療保険制度は国によって様々で、誰しも自分の国の制度のことをよく知っているからこそ様々な不満もありながら、それでもそれなりに満足をしているのだろうと思います。昨年から国会でも議論されてきた日本の高額療養費制度〈見直し〉案の問題は、マライさんの目にはどんなふうに映っていたんでしょう?
マライ・メントライン(以下同) 日本の医療システムは窓口3割負担、高齢者は1~2割負担ですよね。それを日本に来て初めて知ったとき『あ、そうなんだ……』って思って、お金を払うということに、まず驚いたんです。だって、保険料を納めているのに、そのうえ医者に行くたびに窓口でさらに支払わなければならないという考え方がドイツにはそもそもないので、『えーっ!!』って思ったんですよね。そうすると、まずそこで不安になるわけです。だって3割負担だと、病気によっては結構な金額になるじゃないですか。病気になったときのためにわざわざ貯金をしないといけないのかな、これから日本で生活していくうえでお金の使い方を考え直す必要があるのかな、と思って、それにまずビビりました(笑)。
それからしばらく経って高額療養費制度というものがあることを知って、3割負担でどんどん高くなっていくわけではなくて、ストッパーみたいなものでキャップが設けられているんだということを知って、ちょっと安心したんですよ。どれくらいの額になるのかなあ、といろいろ調べてみると『でも、そこそこ払うのね……』って思ったんですけど
――では、病院に行ったときに3割負担を窓口で払うことに、今は納得していますか?
いや、してないですね。もっと高い自己負担制度の国から来たら『たった3割の負担ですむなんてすごいじゃないか』と感じる人もいるかもしれないですけど、私はドイツの制度で育ってきているから『すでに(社会保険料として)払っているのに、なぜもう一度払わないといけないのだろう』という気持ちが消えないんですよ。1回払うと、それで医療費がすべてカバーされるようなシステムのほうが私は安心なんですよね
――ドイツの医療保険システムでは、そのあたりの仕組みはどうなっているのですか。
ドイツの医療保険制度はちょっとだけ面倒くさくて、医療保険は公的保険と民間保険のふたつが存在しています。公的保険は日本の健康保険制度にすごく近い感じで、所得に応じて保険料が給料から天引きになります。保険料率は14.6%で、これに各保険会社の追加保険料が上乗せされます。
2026年の平均追加保険料率は2.9%で、平均すると合計17.5%程度を労使で折半になります。天引きされるから、直接的な負担感は薄いのですが。仕事をしていない扶養家族やお子さんがいる場合は、追加のお金がかからずに家族もその保険に入れます。
フリーランスや自営業の場合は、この公的保険ともうひとつの民間保険のどちらに入るかを選択できます。ただ、この民間保険はちょっと高めで、自営業だと年齢や健康状態によって保険料が変わってくるし、疾患のある人は入れない場合もある。一方、公的保険の場合は加入者を断ることができないので、誰でも入ることができます
――その点でも、ドイツの公的保険は日本の医療保険制度に似ていますね。
そうですね。公的保険は保険料率の上限があるので、どんなにお金持ちでも一定額以上の保険料支払いは発生しません。そういうところも日本と同じです。
では民間保険はなぜあるのかというと、実は一番多い加入者は公務員なんです。民間保険と聞くとお金持ち用のものだと思うかもしれないけど、違うんですよ。うちの親はふたりとも公務員でずっと民間保険だったので、私もそこにずっと入っていて、大学生になったときに自分の分を公的保険に移しました。学生なので、保険料がめちゃくちゃ低くてお得だったんですよね。だから、私は公的保険と民間保険の両方を経験しています
――民間保険の場合は、保険料はどうなっているのですか?
公務員の場合、雇用主が「補助制度」の枠組みの中で、医療費の少なくとも50%を負担します。この補助率は一般的に50%から80%の範囲にあって、家族構成や子どもの人数、州によって異なります。そのため、公務員は残りの医療費のみを、民間保険でカバーすればよい仕組みになっています。
もともとの保険料は公的保険より高いけれども、自分で負担する20〜50%分は公的保険より少し高い程度でそれほどでもない、ということなんですね。
しかも、民間保険は公的保険よりもちょっとだけいいサービスを受けることができて、たとえば歯医者にかかる場合、日本でもベーシックな治療は保険でカバーされるけど、ちょっといい素材のセラミックやインプラントは自費になるじゃないですか。でも、ドイツの民間保険だとそういうようなものをよりカバーしてもらえます
――そのような加入保険の違いで発生する不平等さに対して、公的保険を使っている人からの不満みたいなものはあるんですか?
「それはやっぱりありますよね。でも、ドイツ人が一番不満を感じているのは保険料ですね、お金のこと。どこの国でも保険料の高さは不満のもとですから。もうひとつは、なんで公的保険と民間保険の2本建てになっちゃったのかな、っていうこと。日本みたいに皆が同じ保険でいいんじゃないのか、ということは議論になりますね。
ちなみにその民間保険の内訳は、全加入者の53%が公務員と裁判官です。その公務員と裁判官は、93%が民間保険を選択していて、公的保険を利用している人は7%です
――いわゆる富裕層の人々は?
民間保険を選びますね。本当にお金があるのなら、民間保険のほうが有利だと思います
――人口比で公的保険と民間保険の加入者はどんな割合なんでしょうか。
パーセンテージではなくて実数なんですが、公的保険に入っている人は7400万人。そのうち、実際に勤めている人が5800万人なので、それ以外の1600万人は扶養で入っているということですね。民間保険に入っているのは870万人です。ドイツの人口は約8400万人弱なので、10人に1人くらいが民間保険ということですね
――ドイツの医療費の自己負担は年間収入の2%という話ですが、どのような支払いになるんでしょうか?
病院でのお金が発生しないと最初に言いましたけれども、時々はプラスで支払うことが発生するんですね。たとえば、病院に入院する場合は1日あたり10ユーロ。でも、それにも上限があって、支払いは28日目まで。3ヶ月とか6ヶ月とか、それ以上入院する場合は払わなくてもいい、というふうになっています。
支払いが発生するもうひとつの場合は薬。処方された薬の自己負担額は薬代の10%ですが、下限は5ユーロで、上限は10ユーロです。そのため、300ユーロの薬だと上限の10ユーロ、80ユーロの薬だと10%の8ユーロを払うんですが、50ユーロ以下の薬の場合はすべて5ユーロです
――その支払いも年間上限キャップみたいものがあるんですか?
そう、その10ユーロの積み重ねが自分の年間収入の2%です。基準になるのは税金が引かれる前の収入ですけれども。
たとえば年収600万円だと、2%は12万円ですよね。それが年間支払いのマックス。1ヶ月あたりで割ると1万円。入院代や薬代は、もうそれ以上発生しない。さらに、慢性疾患などでずっと治療が必要な人の場合は、この割合が1%になります。これくらいの金額だと支払いの不安がないし、安心じゃないですか
――僕の場合、日本の高額療養費制度で1ヶ月の治療に支払っている金額は4万4400円(多数回該当利用)です。ドイツの場合だと……。
さっきの例で計算した年収600万円の場合だと、5千円です。お仕事をしていると、まあまあ悲しいけど払えるよね、くらいの感覚ですよね。これくらいの金額だと、仕事を辞めざるを得ないとか治療を諦めなければならないとか、比較的なりにくいと考えられます
なぜかアメリカと比較してしまう日本人
――日本に来たときに3割負担だと知って、「最初はビビった」とおっしゃいましたよね。高額療養費制度があると知ってちょっと安心したということでしたけれども、ドイツと日本のこの制度差では、心の底から安心はできないですね。
安心できると言えるのは、ある程度の高い年収がある人だけだと思うんですよ。そこそこの年収があって、安心感のためにさらに毎月の生命保険を払うことができたり、あるいはもしもの時に備えた充分な蓄えがあるくらい余裕がある人だったら、別にいいんですよ。
でも、そうじゃない人は生命保険を払うのもしんどいし、だからといって上限額が安心できるほど安いのかというと、そんなこともない。だから、結局は不安が残るシステムじゃないかと思うんですよね。自分は今働けていてある程度の収入があると不安はないかもしれないけど、じゃあそれでいいのか?と考えてしまうんですよね。それは私がドイツ人だからなのかもしれないですけれども
――いや、それはドイツ人だからじゃなくて、当たり前の感情だと思います。
だから、これは今日の話の結論になってしまうんですけれども、日本はちょっとアメリカのほうを見すぎなんじゃないかという気がします。自分たちの保険制度をアメリカと比較しているのが、私にはすごく謎なんですよ。
だって、日本の医療保険制度は歴史的にもヨーロッパの保険制度をベースにして成り立ってきたわけですよね。だから、社会保障に対する考え方もヨーロッパ的で、アメリカ型ではなかったと思うんです。アメリカの場合はすべてが自由、すべてが自己責任で、弱者切り捨ての結構不安定なシステムですよね。
ヨーロッパの場合は、自分だけじゃなくて隣の人も障害を持って生まれた人も、皆が国のメンバーで、それで社会が成り立っている。それを守りましょうね、だからみんなで負担をして助け合いましょうね、という考え方がベースにあって保険制度が成り立っている。日本の保険制度もそれと同様の考え方で成り立ってきたと思うんですけど……
――社会保険料を皆が天引きで支払っているのは、要するにそういう意味ですよね。日本の高額療養費制度も昔は全員が一律の負担額でしたが、小泉純一郎内閣の2001年に応能負担の考え方が導入されるようになり、それ以降25年かけて応能負担の比率がどんどん大きくなってきた、というのが現状です。25年ということは、社会人だと40代半ば以下の人たちは応能負担の状態しか知らないので、それが当たり前だと思っているかもしれません。
私も留学で日本の学校に通っていましたが、この国の教育では『自分たちはどういう国や社会でありたいのか』という国家観や社会観のようなものを教えないですよね。それは政治に任せることではなくて、ひとりひとりが考えて話し合いながら決めていくものだろうと思います。
健康保険制度もまったく同じで、この国をどうやって形作っていこうか、という話なんですよね。なのに、政治がそこらへんをさらっと変えて、皆が『そういう事情ならしかたないよね』みたいな感じになってしまうことがすごく不思議です

