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「権力の世界、妬み、やっかみは凄まじい」監獄生活からがん闘病、復活…鈴木宗男が語る波乱万丈の“生涯政治家人生”と孫と遊ぶ“おじいちゃん”の顔…終活も聞いてみた

「権力の世界、妬み、やっかみは凄まじい」監獄生活からがん闘病、復活…鈴木宗男が語る波乱万丈の“生涯政治家人生”と孫と遊ぶ“おじいちゃん”の顔…終活も聞いてみた

「政治の師」と仰ぎ秘書として支えた中川一郎元農水相の自死、35歳で衆院議員初当選、49歳で初入閣、あっせん収賄容疑での逮捕、突然のがん宣告……。数々の修羅場をくぐり抜けてきた78歳のベテラン政治家、鈴木宗男参院議員が半生を振り返りつつ、自身の終活や、自民党広報本部長を務める愛娘の貴子衆院議員への熱い思いを語った。

「意義のある仕事を43年も続けてこられたのは幸せです」

――宗男さんは今年78歳を迎え、現役の国会議員として活躍していますが、壮絶な政治家人生を歩んできました。秘書として仕えた中川一郎元農水相の死をめぐって批判されたり、政界でスピード出世を果たしたと思いきや、一転、検察に逮捕されたり。浮き沈みの激しいジェットコースターのような人生を振り返ってみて、政治家にならなかったほうが幸せだったとは思いませんか。

鈴木宗男(以下、同) 私は中学1年生の時の作文で、将来の夢について「政治家になりたい」と書き、その夢を実現しました。もちろん、政治家にならなければ国策捜査により逮捕されることはなかったでしょう。

それでも政治家になってよかったと思いますね。正直者が馬鹿を見る社会にしてはいけない、額に汗して頑張ったものは報われる、そういう社会を作るのが政治家。

いろいろありましたが、意義のある仕事を43年も続けてこられたのは幸せです。

――何度も挫折を乗り越えてきましたが、特にツラかった経験は何ですか。

私は北海道足寄町の農家の次男として生まれ、麦ごはんで育ちました。決して裕福な家庭ではなかったのですが、父親は馬を1頭売って私を大学に行かせてくれました。

その父が19歳のときに亡くなり、母親も他界しましたが、それよりもショックを受けたのが1983年1月9日、秘書としてお仕えした中川一郎先生が亡くなった時です。札幌のホテルに泊まっており、私も一緒にいました。

前年の自民党総裁選で、中曽根康弘、河本敏夫、安倍晋太郎の各氏と争い、結果は惨敗。

ただ、たった13人しかいない少数派閥を率いる中川先生が50人の推薦人を集めて総裁選にエントリーできたことだけでもすごいことでした。

総裁に選ばれた中曽根さんに近い渡辺美智雄さんは「北海のひぐま」と言われていた中川先生を「くまの遠吠え」と馬鹿にしました。こちらとしてはなにくそという思いで推薦人を集めたのです。

中川先生は57歳でまだまだこの先もチャンスがありましたが、総裁選の結果を気にして、失意に陥り、精神的に不安定になっていきました。

天下人になるには時の運、めぐりあわせ、いろいろありますが、人一倍頑張っていればナンバー2やナンバー3に中川先生はなれるのではないかと思い、私は大学4年生から秘書として365日休まず、がむしゃらに働いてきました。

それだけに中川先生の死は私の人生も終わったと感じましたね。

公認なし、無所属で出馬

――中川氏が他界した年の83年12月の衆院選に出馬し、初当選しました。同じ選挙区(旧北海道5区)で中川氏の長男・昭一氏と争い、「骨肉の争い」と言われるようになりました。

中川先生はご自身に何かあれば、私を後継者にと考えていました。後援会や事務所内からも私を推す声が出て、衆院選に出馬することになりました。

中川先生の奥様は後継者に長男の昭一さんを考えていましたから、私はマスコミからも「裏切り者」扱いされ、強いバッシングを受けました。

「FOCUS(フォーカス)」という写真週刊誌がありましたが、この年に最も多く掲載された政治家が田中角栄先生で12回、次が私の11回でした。政治家になる前なのに注目されました。

中川先生と仲が良かった金丸信先生は「俺に任せろ、俺が鈴木宗男の後見人だ」と、自民党公認で出すと約束してくれましたので、党の実力者が太鼓判をおしてくれたと安心しました。

ところが、公示直前になっても公認が出ない。東京に飛んで金丸先生に確認しましたら「35歳で国会に出ようとしている奴が公認なんて言うな。早く帰って選挙をやれ」と、約束なんて覚えていないとばかりに言うのです。

偉くなる人は頭が違うなあと思いました。

そして無所属で戦う、厳しい選挙になりました。最も支えてくれたのが同郷の松山千春さんです。当時、フォークソングの世界でのスーパースターでしたから、松山さんが一声出せば人が集まってくる。本当にありがたいと思いました。

真冬の選挙で連日マイナス20度以下の冷え込みでしたが、選挙カーは箱乗り。窓を全開にして身を乗り出し、声を張り上げて手を振りました。ジャンパーもアノラックも着ない、背広で戦い抜きました。

その時から「箱乗り」をしました。今や選挙になると「ムネオの箱乗り」が話題になりますが、44年前からの私の専売特許です。

やはり政治家は体が資本。体力がなければ選挙は勝てない。今でも時間があればジムに寄ってランニングするなど鍛え続けています。

――再選を重ねながら橋本政権で北海道・沖縄開発庁長官として初入閣、小渕政権で官房副長官、自民党総務局長(現・選対委員長)を歴任。政界で順調に出世しましたが、2002年にあっせん収賄容疑で東京地検特捜部に逮捕されました。無実を訴えましたが、認められずに実刑が確定。まさに転落人生です。

小泉純一郎さんが首相となり、政権の政策が新自由主義的なものに転換されました。理念が異なる私の立場は自民党内で悪くなりました。外務大臣の田中真紀子さんとの確執もあり、検察による国策捜査の標的になったのです。

権力の世界ですから、妬み、ひがみ、やっかみは凄まじい。無実を訴え続けたために437日もの長い間勾留されました。政治家としてそれなりのことはやった、胸を張ってもいいという思いはありましたね。

ただ、このまま世の中から退場するのは納得がいかない、我慢できませんでした。今にみていろ、必ず戻ってやるという強い気持ちを持って踏ん張りました。

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