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『豊臣兄弟!』では描けない裏歴史! 秀吉の「異常な女癖」と調整役・秀長が奔走した「夜の外交工作」

『豊臣兄弟!』では描けない裏歴史! 秀吉の「異常な女癖」と調整役・秀長が奔走した「夜の外交工作」

秀長の私生活と、崩れたパワーバランス

一方、秀長自身は、正室・慈雲院との仲は睦まじかったとされる。史料には複数の女性との間に子をもうけた記録も残されているが、兄・秀吉の際限ない「女性収集」とは明らかに異なる姿勢を示していた。この兄弟の気質の違いこそが、天下統一を成し遂げた原動力の一つとも言えるだろう。

しかし、天正19年(1591年)に秀長が病没すると、歯止めを失った秀吉はさらに暴走する。秀長の後を追うように千利休を自害に追い込み、ついには甥の秀次一族を惨殺する「秀次事件」を引き起こす。この際も、秀次の側室や娘たちが三条河原で処刑されたが、もし秀長が生きていれば、これほど凄惨な一族の粛清は回避されていたはずだ。

戦国時代の「夜の営み」は、単なる享楽ではない。血縁を広げ、敵を懐柔し、生き残るための壮絶な「政治工作」そのものだった。ドラマの美しい兄弟愛の裏側には、権力者のどろりとした執着と、それを必死に支えた「最強の弟」の苦悩が隠されているのである。

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配信元: 週刊実話WEB

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