・今こそ歌わねば!
さて、席について先輩方の歌に耳を傾ける。最初の30分はお隣に腰かけているご夫婦が交互に歌っていた。お2人とも唸るほどお上手、身体つきは細く、どちらかといえば華奢(きゃしゃ)なのに、どこにそんなパワーを秘めているのか? と思うほど、芯のある歌声。
とくにご主人は、音程が正確でのびやかなロングトーンは聞いていて心地よい。どうやって声を出しているんだろう。あまりまじまじと見るのは失礼なので、チラリと様子をうかがうとまぶたを閉じて、気持ちよく喉を鳴らしている。
ああ、自分は力むばかりでこんな風に、音に身を委ねるということができてないなあ。
どの歌も素晴らしく、曲が終わる度に盛大に拍手した。そうしたところ、ご主人が私が真剣に聞いていることを察したらしく、無言でデンモク(カラオケ専用リモコン)を私のテーブルに置いた。
あ! これは「よろしかったらどうぞ」ということだな。く~……、こんな人の前で歌えないよ。でも、せっかくのご厚意を無下にするのも失礼。というか、勧められて断るのは無粋だろ。いくしかねえな、でも何を歌おう……。
そうしていると、ママさんがテーブルにやってきて「コレ、どうぞ」と玉子豆腐を置いていってくれた。食事をしないと言ったから気遣って出してくれたんだな。有難い。
玉子豆腐を食べていたところ、隣のご主人が無言でデンモクをひっこめた。しまった! チンタラしてたからチャンスを逃した。何を躊躇(ちゅうちょ)しているんだ。下手でも誰も聞いてないんだから、こういう時は思いっきり行くべきなのに、チキショー!
ちょっと後悔していたところで、またママさんがやってきて、モズクを置いていった。なんかいっぱい食べさせてもらって申し訳ないです。学生にドンドンご飯を勧める食堂に来た気分だよ。学生気分といってももう52歳なんだけどね。
さらにママさんは来る。今度はかぼちゃの煮物・かまぼこ・鶏肉の煮つけかな? の3品を置いていった。実はちょっとお腹いっぱいだったけど、絶対に全部食うと私は固く誓った。
ほどなく、また隣のご主人が、スッと私のテーブルにデンモクを置いた。このチャンスは絶対逃さねえ! すかさず私は軽く会釈をしてデンモクを取り、吉幾三さんの『雪國』を叩き込んだ。
親父の好きだった曲なんだ。これならこの場にふさわしい。探るようにメロディを追いかけて何とか完唄、お隣のご夫婦があたたかい拍手を送ってくれて、とても嬉しかった。会話はしていないけど、心が通う感覚が気持ちいい。
・その人を通して発せられる言葉
その後にカウンターにいらっしゃる皆さんも順番に歌い始めた。
軒並み全員上手い! なんだろう、ここは。ゲームとか映画とかで場末の飲み屋に入ったら、すでに現役を引退した戦士や魔法使いがいて、若造が舐めた態度をとったら、伝説の技や魔法を遊び半分で繰り出してきて「ワシももう歳じゃ、ハッハッハ」って言ってるシーンみたいになってるぞ。みんな猛者すぎる!
私は軽く戦慄しつつも、畏敬の念を抱かずにはいられない。だって、音楽に対する深い愛情を感じるから。そして、それぞれの皆さんの歌声から人生が見える。
1人の方がBOROさんの『大阪で生まれた女』を歌ってらっしゃる。その横顔は、まるで遠い記憶をたどっているに見えた。私ですら出会いと別れを繰り返して、ようやく50年を生きている。皆さんはそれよりも長い時間、時にはツラいことだってあったはず。
「たどりついたら1人の部屋 裸電球をつけたけど また消して」(大阪で生まれた女)
その歌詞のリアリティ、歌う方の人生を通して発せられるその言葉が、胸に迫って思わず目頭がアツくなった。上手いとか声が出るとかではなく、それらを越えたものがメロディに宿っている。これが「歌」なんだなあ。
