(本紙主幹・奥田芳恵)
●落ち込む気持ちをプラスに変えようと 教員採用試験の勉強に没頭する
奥田 これまで萩原さんは、大学時代を除いてカリタス学園とともに歩まれていますが、いつ頃からカリタスの先生になろうと思われたのですか。
萩原 大学4年のとき、教育実習はカリタスでお世話になりましたが、カリタスの先生になりたいと思ったことは1%もありませんでした。というか、当初、教員になるつもりはなかったんです。
奥田 それはちょっと意外です。
萩原 ところが、大学3年の3月に失恋したんです。それでひどく落ち込んで、このままだとその人に出会えたことを否定するようになると思いました。それはとても残念なことだと感じ、その落ち込む気持ちをプラスに変えようと、一番手近にあった教員採用試験の勉強に飛びついたのです。大学受験など問題にならないくらい、朝早くから夜遅くまで一心不乱に勉強しましたね。
奥田 失恋の痛手を勉強するエネルギーに変えたのですね。
萩原 ところが、もともと教員志望の同級生たちは、3年の初めから教員採用試験対策の勉強をやってきています。だから、私の場合はスタートが遅いわけですね。でも猛勉強の甲斐あって、公立中学校の一次試験(筆記)に受かったんです。当時の教員採用試験は狭き門で、友だちは軒並み落ちてしまったのに、私は3カ月間の勉強で受かってしまった。周りから「ちかちゃん、すごいね」とか言われて調子に乗って「私、教員になるわ」と。
奥田 いよいよ、教員という仕事が現実味を帯びてきたのですね。
萩原 ところが、二次試験の面接で落ちてしまったんです。おそらく、公立に通ったことのない女子校育ちのふわふわした女の子に、校内暴力が頻発するような中学校の先生が務まるわけがないと思われたのかもしれません。
それで、浪人してもう一度トライしようと考え、玉川大学の通信教育課程で小学校の教員免許をとる準備もしていました。そんなとき、カリタスの理事長でいらしたリタ・デシャエンヌ先生から「社会科の非常勤講師で来ませんか」という電話をいただいたんです。このときは天にも昇る気持ちでしたね。
奥田 ついに、カリタスとの縁が再びつながったのですね。
萩原 高校1年の政治経済を担当する傍ら、小学校の教員免許を取得し、その翌年、小学校のクラス担任として正式に採用されました。当初、小学校教育にはあまり興味がなく、物足りないのではないかと思っていたのですが、小学生に対する教え方はある意味哲学的で、私は小学校教育にはまってしまったんです。
奥田 哲学的ですか……。
萩原 例えば「1+1=2」と教えるのは簡単ですが、「1」というのはどういう概念だろうとか、「+」というのはどういう意味だろうということを、子どもがどう理解するかと考えると、ただ知識を伝える中学や高校の教育よりも深いものがあると感じたんですね。
奥田 確かに哲学的であり、より根源的な感じがします。
萩原 それで結局、小学校のクラス担任を20年間続けました。ただ、40歳頃、次第に学園の仕事を任されるようになり、「自分はカリタスしか知らない」と、力不足を感じるようになりました。そんなとき、カリタス学園から上智大学への派遣制度が始まります。シスターの老齢化に伴い、キリスト教について学び、深い知見を身に付けた教員が求められるようになったからです。
奥田 再度、学びのタイミングが巡ってきたのですね。
萩原 そうですね。私は2003年4月、上智大学神学部に学士入学し、学部2年、大学院2年の都合4年間、キリスト教について学び、07年にカリタスに戻りました。
●本当の祈りを知り 神の助けを感じる
奥田 何か派遣されるきっかけはあったのですか。
萩原 カリタスの卒業生でカトリック信者ということもありますが、39歳のとき、シスターから修道院に呼ばれてアソシエの会という祈りの場に参加したことが大きいですね。
それまではいわば“なんちゃって信者”だった私が、初めて本当の祈りを感じた場で、聖堂での30分間があっという間に過ぎました。ここでの学びを、シスターが認めてくださったのだと思います。
奥田 カリタス小学校に戻られてからは教頭、そして校長という要職に就かれます。会社員だったら、とても順調な出世といえますね。
萩原 そうですね。子どもたちはよく伸びて、保護者も協力的だったため、校長としての仕事は順調でした。けれど、いまから10年前、中学高等学校への異動を告げられてしまったのです。このときはとてもショックでしたね。
奥田 小学校と中高では、そんなに違うものなのですか。
萩原 違いますね。小学校は教員にも子どもらしさに似た雰囲気があっておおらかですが、中高は男性の先生も多くシビアな雰囲気です。私は中高の副校長への異動を申し渡されたのですが、中高では最初の1年間の非常勤しか経験がないため、ここで管理職が務まるのかと、涙が出るくらい不安でした。
奥田 それでも異動を受け入れられたのは?
萩原 理解されにくいかもしれませんが「神が動いた」と感じたからです。小学校校長時代、自分のような者がそのポジションに就いて学校をダメにしてしまうのではないかという不安の中、心静かに祈りました。すると、児童や保護者の前で語るべき言葉が自然と湧き出てきて、自分で書いた原稿が自分の力をはるかに超えたものとなったのです。まさに、神が助けてくれたと感じました。ですから、神が中高へ行けと言うなら行くしかないと思うようになったのです。
奥田 実際に中高に移られて、いかがでしたか。
萩原 それが、思いがけず楽しかったんです。小学校にいた頃は、中高の先生はあまり生徒思いではないように感じていたのですが、実際に異動してみると、先生方はとても優秀で誠実であることが分かりました。一見冷たそうに見えたのは、公平性を重んじ、さまざまなバランスを考えた上で生徒に対応しているがゆえのことだったのです。だから、小学校のおおらかな空気を中高のきちんとした文化に組み入れることが、私に課せられた一つの役割だと思いました。
奥田 今後は、どのような未来を描いていらっしゃいますか。
萩原 答えになっていないかもしれませんが、これからも神の意志に委ねて生きていこうと思っています。求められるのであれば、その仕事をやっていこうと。
でも退職したら、ピースボートに乗って世界を巡ったり、イタリアの田舎で半年くらい暮らしたりしたいと思っています。私はワインとチーズが大好きで、イタリアには教会もたくさんありますから。
奥田 それはすてきですね。今日は、とてもいいお話を聞かせていただきました。これからもお元気でご活躍ください。

