記憶を呼び起こすトリガー
津村 フィジカルの話でいうと、岡野さんが軽トラの運転をしていた話も書かれてるんですけど、読んでいて私も軽トラの運転がしてみたくなりました。
岡野 仕事で乗っていたんです。東心斎橋とか人だらけのところを歩くより遅いぐらいのスピードで走ったり、急坂で発進させたりしてましたね。軽トラの運転はゲームみたいで、だんだん体の一部みたいになっていくのが楽しかったですね。
津村 〈荒くれ馬を乗りこなすように一ヶ月を過ごすと慣れてきて〉とあって、これと似た感覚は自転車で感じたことがありますけど、軽トラでもあるんですね。車の身体性というか、重さも伝わってくる。私は普段全然運転しなくて、免許もオートマ限定ですけど、マニュアルいいなと思いました。
岡野 津村さんマニュアル合うと思いますよ。歩くときは自分で踏み出さないと歩けないのと同じで、マニュアルはより体っぽい感じ。もっとわかりやすく例えるなら、有線イヤホンかも(笑)。ワイヤレスイヤホンは、自分の意図と関係なく途切れたりするし、電車で時々音鳴らしちゃってる人もいるじゃないですか。それに比べて、有線は自分で挿さないと聞こえないけど、挿したら必ず聞こえる。そんなところがマニュアルっぽいです。
津村 動かせば動くという感じ? それなら、たしかにマニュアルの方が合いそうと思ってしまいますね。ワイヤレスイヤホンを充電できないという話をしたけど、ズボラでパスワードとかも忘れてしまうから、〈ウェブサイトに入れるまでに二千年 現地へ光でも二万年〉で、「確かに体感として二千年かかるよな」と同意してしまってたんですよ(笑)。
岡野 嬉しい。この短歌、どこか大阪感があるかも。SFっぽく書いているようで、どこか、「おつり二百万円」とか言っちゃう大阪人のモードで書いていたかも。
津村 パスワードを忘れてるとか、正しいパスワードを打ってるはずなのに受け付けてくれないとか、ウェブサイトに入れるまでのあの長い時間。家から電車に乗って、みどりの窓口にチケットを買いに行くこと以上に、夜中に「e5489(イーゴヨヤク」)JR西日本のネット予約システム)に入る方が大変で、ほんまに二千年ぐらいの距離を感じるんですよ。旅行するより、旅行のための予約サイトに入る方が難しいってなんやねんって腹が立つ。
岡野 「なにが良いご予約やねん」って名前自体にもね。
津村 ほんと(笑)。岡野さんが短歌で、サイトに入れないことを、ちゃんと芸術にしてくれたというか、初めて言葉にしてもらえた、肯定してもらえたような気がするな。
それから〈ふと薄い問題集を解きたくなった〉というところもすごい共感した。
岡野 子どもの頃、薄い問題集をよく解いていて、最近また「めちゃくちゃ書き込みたい」という気持ちになった時に書いた文章です。津村さんは、英単語帳の『DUO 3.0』をやっておられるんですよね?
津村 『DUO 3.0』はやり終わって、今『英単語ターゲット1900』やってます。
岡野 犬の表紙の。単純に単語を勉強したくてやってる感じですか?
津村 そうそう犬の表紙。古本で前の版のものを買ったので、前使っていた人のラインマーカーが残っていて、「なんでこの単語に緑マーク引いてるんやろ」とか考えながら読むのも楽しいんですよね。やり始めたきっかけは、そもそも自分の好きな小説を英語で読み直すということを二年ぐらいやっていて、もうちょっと単語を知っておいた方がいいなと思ったからですね。今のところ『DUO』より『ターゲット』の方が自分に合ってる気がします。
岡野 単語帳は向き不向きというか相性の良し悪しがありますよね。
津村 『DUO』は単語を覚えるためだけに例文が作られてるから、おもしろいけどちょっと不自然な感じ。それに比べて『ターゲット』は、大学入試で出題された文から例文が選ばれてるから、燃費は悪いけど味わい深い気がします。
岡野 英語で小説を読もうと思われたのは、なんでだったんですか?
津村 やってみようと思って。やめたり、やったりですけど、ケヴィン・ウィルソンの小説を二年ぐらいかけて読んでます。読んだり書き写したりしてますね。知らない単語が出てくるんで、私たちが受験で勉強した単語が通用するのかどうかも気になって、単語帳もやり直してみようと。
岡野 さすがに受験英語の単語じゃ歯が立たないんじゃないですか? 意外とそうでもないですか?
津村 『ターゲット』は結構レベル高いですよ。マリエッタ(Marietta)というバンドの曲の歌詞を書き写していて、調べながら訳してたんですけど、「obediently(おとなしく)」が『ターゲット』で「obedient(従順な)」って派生の形容詞で出てきた。それで『ターゲット』を見直しました(笑)。
でも、ふと薄い問題集を解きたくなるのはなんででしょうね。姫野カオルコさんの小説かエッセイで、世の中の複雑さに疲れたかなんかの時に、数学の問題集を解く女性のことが言及されるんですよ。すごいわかると思って印象に残ってます。疲れたりすると、問いと答えがきっちりしたものを求め始めるんですかね。
岡野 薄い問題集をやりたいというのは、答えは間違っててもよくて、ただなんか解きたいんです。
津村 〈選択問題が中心だったので棚に戻す〉というくらいだから、一冊全部答えを書き込みたい。ゲームをクリアする感覚に近いですかね。
岡野 そうですね。最近の問題集は僕らの頃より解説が手厚いものが多い気がするんですけど、薄い問題集って淡白じゃないですか。その感じがいいんですよ。
もちろん、ただ勉強したいという気持ちもあります。昔の人の短歌には読めない漢字もいっぱい出てくるし、もうちょっと物を知りたいなとかはありますね。
津村 私はよくドリル感覚で、「三〇分で一〇個ネタを考えろ」とか自分に課すんですよ。たとえば、今、博物館の小説を書こうとしているんですけど、「これから三〇分間、博物館の短編を書くとしたらどういう話が考えられるかだけ考えなさい」と。結局小説のネタに正解はないから、やっても気持ちよくはないんやけども。薄い問題集は正解があるから、やりたい気持ちはすごくわかりますね。関係ないけど、『ターゲット』の犬の表紙みたいに、昔自分がやってた問題集の表紙もすごく覚えてませんか? 気球とか、スイスっぽい風景とか。
岡野 確かに。気球とか丘とかですよね。希望が感じられるようなもの。
津村 私は特に、勉強がわからなくなった頃の表紙をよく覚えてるんですよ(笑)。その表紙を思い出すと万能感が薄れていく。つるかめ算や流水算が全然わからなかったことを思い出すと「自分は大したことない人間だ」と自戒できる。塾で配られるような無機質な表紙より、気球の写真の方が、なぜか思い出した時に攻撃力があるんですよ。
岡野 脳裏に焼きついてますもんね。多分、なんにでも使えるような意味のない写真やのに。
津村 できなかったことの象徴になってるみたい。
岡野 僕は作中にも書いたように、生物の問題集がやりたかったんです。図もいっぱい載ってるし。
津村 生物の図って、めっちゃ上手いですよね。
岡野 たしかに。どういう人が描いてるんやろう。
津村 描く人、全然称えられないですよね。細胞膜とか核とか、あんなに印象的な絵なのに前に出てこない。
岡野 あの絵を描く人、それこそ津村さんの小説に出てきそうです。
津村 今の教科書や問題集では写真になってるんかな。昔は写真のコストが高くてイラストだったから、図鑑も絵でしたね。講談社の全十巻の動物図鑑が好きで、今でも何冊か実家にありますよ。
あとは勉強系だと、〈資料集のぐちゃぐちゃになった涅槃図に西日がぐちゃぐちゃにあたってる〉も好きで、風景が思い浮かんだ。これは世界史の資料集でいいですか? 世界地理? 午後の五、六時間目とかの世界史の授業を思い出しました。
岡野 まさにそういう景色かも。資料集のべろべろって開けるページあるじゃないですか。あの部分ってカバンの中でぐちゃぐちゃになったりするんですよね。
津村 わかるなあ。午後の世界史の授業はなんか幸せでした。資料集もめっちゃ読みましたし、大人になってからも山川の世界史年表買いました。国語便覧も読みますね。
岡野 僕も両方とも持ってます(笑)。安いし情報量多いし、正確やし面白い。教科書だったか資料集だったか忘れてしまったんですけど、今、僕の短歌も載ってるんですよ。不思議で、嬉しいですね。
津村 それはすごい! 便覧とか資料集は、授業でやってくれないことも書いてあるじゃないですか。資料集でジャイナ教の人の生活を知ったりするわけですよね。それが楽しかったな。岡野さんの作品って、記憶のトリガーだらけですよ。記憶の価値を再評価できることがいっぱい書いてあって、自分の見てきたものも捨てたものでもないというか、覚えている価値があったんだと思わせてくれるんですよね。
岡野 僕も津村さんの作品に対して同じことを思ってます。「そういうことってあったよな」と自分の思い出を取り出すような感じ。
津村 常にその記憶を頭に置いてるわけじゃないのに、なんで思い出すんですかね。誰かが資料集の話をしたらふと記憶がよみがえってきて「そうそう」となる。よく考えると不思議ですね。
岡野 本当、さりげないことで思い出したりしますよね。僕は短歌には自分が十年後も覚えてそうなことは書いてなくて、三分後に忘れそうなことを書きたくなる。僕の作品の場合は、結果的にそれがトリガーになってるのかもしれないです。
津村 ほんとに普通の言い方をすると「見過ごされるもの」「評価されないもの」なんですけど、いいとも悪いとも評価されない瞬間みたいなのが生きてたらいっぱいあって、それが人生のものすごく小さい部品なんじゃないかっていうのは思いますね。
岡野 津村さんの作品には救いがあるんですけど、でも「これからあなたがたを救いまっせ」みたいなんじゃなくて、元気な時は気づかないようなもの。しんどい時って、ちょっとしたことで支えられたりするけど、津村さんの作品にはそういうものがいっぱいちりばめられてると思います。元気な時に聴ける音楽はいっぱいあるけど、しんどい時でも聴ける音楽ってあんまないんですよ。そういう音楽に近いというか。
津村 しんどい時に聴ける音楽は大事ですよね。嬉しいです。私、六角精児さんの『六角精児の吞み鉄本線・日本旅』(NHK BS)という番組が好きなんですけど、今年の二月から社会的にも嫌な時期が続いてて、私生活でも嫌なことがあって、ドラマとか見ても話が頭に入ってこなくなった。その時に、しがみつくようにこの番組で六角さんの旅の様子を見てた。これだけテレビとかYouTubeとかいろんな動画コンテンツがあるのに、しんどい時に見れるのは六角さんだけっていう。他の人の名前を出すのは気が引けますけど、私にとって岡野さんはこの時の六角さん的なものですよ。六角さんの『吞み鉄』を見る時の気分になれる。
岡野 うわー、すごく嬉しいです。
世界の「奥行き」を感じるために
津村 「月と駐車場の光が写真に写ったのを見たら、駐車場の光の方が月の正当な大きさである気がする」と思うこと自体は、別に素晴らしいことではないんですけど、だからと言って、覚えていない方が良いわけではないですよね、絶対に。見たものの意味と言うと重くなるんですけど、人間が幸福になるために積み重ねていく小さい部品のように思えるんです。〈涅槃図に西日〉もそうだし、〈海沿いのライブハウスにいたことがようやく気持ちにくる帰り道〉とかもね。これはZepp Osakaからの帰り道ですよね?
岡野 さすがですね。Zepp Osakaももうなくなりましたが、あそこは帰りに「海におったんやなあ」って気づくんですよ。ライブ前はライブのことで頭いっぱいで、海を意識してない。
津村 大阪湾沿いの夜の雰囲気が伝わってきます。あの辺り、ライブに行った人がみんな歩いてるから、怖いところではないですけど夜はめっちゃ暗いですよね。帰りの中央線沿線はたぶん港湾関係の会社が多くて、いろんな国とやり取りしてるから、遅い時間までビルの窓には電気がついていて、その明かりを見るのがめちゃくちゃ好きでした。
岡野 ぼんやりライブの余韻もあるから、いつもとは違う見え方でね。
津村 祝福の気持ちがあったんでしょうね、働いてる人に対しても、自分に対しても。働いてる人たちからしたら、早く帰れって感じでしょうけど。ありふれた言い方ですが、ライブに行くと世界の解像度が上がる、よく見えるようになって、それを全部見ておこうという気分になるんですよね。今もやっぱりライブ終わりにビルの写真とか撮ったりしますよ。一五階建てのビルの七階にだけ電気がついていたら、ビルの案内図を見て「なんでついてるんやろう」と調べてみたりします。ライブ帰りは時間が遅いから、特にそれぞれの営みが浮かび上がって見えますね。
岡野 ライブの帰りってちょっと浮かれてるし、確かにどの場所でもそうかも。
津村 やっぱり世界は奥行きがあって広いんですよね。それは世界の果てまで行くとかじゃなくて、電車賃二百円以内の場所であっても、自分をいろんな気持ちにさせてくれる。それって、すごい希望のあることですよね。これはライブハウスじゃなくて映画館の話ですが、〈スクリーン6へ短い階段を行きながら盛り下がりつつある〉も、シネコンの通路で映画への気持ちが盛り下がる感じ、めっちゃわかるんですよ。
岡野 「もうええわ」ってなるんですよね。
津村 シネコンの通路はなんであんなに3Dダンジョンみたいなんですかね。チケットをもぎってもらってからスクリーンまでがなんであんなに遠いんだろう。私の観る映画だけなのか、いつも一番奥のスクリーンに通されるんですよね。
岡野 ポップコーンとジュースを買うと、映画館の椅子に置けるトレイに入れて渡されるじゃないですか。あれサイズの割にすごく軽いから持ち運ぶのが怖いんですよ。その緊張感もあるし、スクリーンまでの道のりで疲れてきて「もうなんかええわ」になる。
津村 他の映画のポスターが通路に貼ってあるのを見ながら、何しに来たのかよくわからんくなるんですよ。岡野さんはこういう瞬間に忘れないようにメモを取ってますか?
岡野 スマホに取ってますね。メモがあると安心というか、そもそも思いつくものは三分ぐらいしたら忘れそうなことだから書いておかないと。人と一緒にいてもちょっとごめんって言って、メモします。
津村 私もスマホにメモを取るんですけど、今ちらっと見たらお買い物メモばっかりや……。でも、おもしろいので言うと、イラストレーターの北澤平祐さんが坪田譲治文学賞を受賞された『ユニコーンレターストーリー』の中で、早生まれがちょっとだけテーマになっていて、お会いしたときにその話をしたら、「バンドは全部早生まれに見える」という話に展開して盛り上がりました。フー・ファイターズは逆に四月生まれっぽいぞとか。この話がおもしろくて、もっと考えようと思ってメモしてますね。
岡野 おもしろい。たしかに言われると、フー・ファイターズは四月生まれっぽい気がする。デイヴ・グロールのせいなんですかね。
津村 デイヴだと思いますよ。ニルヴァーナでドラムやって、曲がすごく書けて、かつ今ちゃんと生きてて今も一線にいるっていう。北澤さんはデイヴが二十年ぐらい不倫してたのを残念がってたけど(※ネット記事では十五年とあったそうです)、二十年も同じ人と不倫するのもすごいと思うし、あの世代の人って結構亡くなったりしてるじゃないですか。サウンドガーデンのクリス・コーネルとか、リンキン・パークのチェスター・ベニントンとか。自分らが世代ど真ん中で聴いてたような人たちが結構亡くなってるんですよ。そうなると、生き残ってちゃんと売れてるデイヴ・グロールって、やっぱすごいなってことになるんかな。
岡野 生きてるだけで価値がありますね。リンキン・パークも、こんだけ売れてて死ぬのかって結構ショックでしたね。
津村 売れることは人を幸せにはしないのかなと思ったりしましたね。
岡野 短歌を始めたての頃に〈また一人僕のCDコレクション内から自殺者が出た模様〉という歌を作りました。この時は、エイミー・ワインハウスが亡くなって悲しくて。
津村 北澤さんは、パール・ジャムはちゃんと生きてるし、ずっとちゃんとしてるって言ってはりました。
岡野 パール・ジャムもかっこいいですよね。
津村 デイヴ・グロールが四月生まれっぽいの他に、スマッシング・パンプキンズは三月っぽいともメモしてますね。
岡野 スマッシング・パンプキンズが三月っぽいのは、ジェームス・イハがいるからでしょうね。
津村 うんうん。この話、考え甲斐があるんですよ。
岡野 考え甲斐ありますね。バンドの中には、四月生まれのくせに「三月生まれのフリ」してるやつもいそう。
津村 コールドプレイとかかなあ。
岡野 絶対四月ですよね、賢いもん。ほぼ偏見ですけど(笑)。
津村 賢いですよね。全部偏見です。コールドプレイはおそらく四月か六月なんですけど、感性としては三月生まれを演出できていて、三月生まれっぽさで売れたみたいなね。
岡野 考えるの楽しいですね。ファウンテインズ・オブ・ウェインは本当は三月やけど、四月っぽくやらないとって四月然としてる気がするな。四月に憧れてるというか。
津村 ファウンテインズ・オブ・ウェインは、折り目正しい感じに惹かれているというか、隙を見せないように過剰に頑張ってる感じがありますよね。
岡野 初期の頃は音も軽くて、ペイヴメントみたいに力が抜けていて、でもそこからポップ職人になっていった。音楽にちゃんと自分たちも合わせていった感じがして好きですね。

