永田町取材歴50年超の政治評論家・小林吉弥氏が「歴代総理とっておきの話」を初公開。今回は石破茂(上)をお届けする。
銀行員から政界へ…石破茂を変えた田中角栄の一言
令和6(2024)年9月27日に行われた自民党総裁選は、あまたの総裁選のなかでも後世に残る激闘の一つであった。
国会議員票と党員・党友票を合わせた1回目の投票で、高市早苗が1位、以下、石破茂、小泉進次郎…と続いた。しかし、高市が過半数を制せなかったことで、2位の石破との決選投票にもつれ込んだ。
結果、退任する岸田文雄首相が率いる旧岸田派や小泉らを支持する陣営が石破の支持に回り、21票差の接戦のすえ石破が逆転勝利を手にしている。石破はその後の10月1日、臨時国会で首班指名を受け、首相の座に就いた。
時に、石破は戦後、洗礼を受けた3人目の「クリスチャン首相」であった。戦後初の社会党首相となった片山哲と、昭和55(1980)年6月の衆参ダブル選挙のさなか、急性心不全で急死した大平正芳に次ぐものである。大平は高松高商(現・香川大学経済学部)入学を機に、香川県観音寺市の教会で洗礼を受けている。
ちなみに、吉田茂は89歳で死去する直前に洗礼を受け、「ヨゼフ・トマス・モア・ヨシダシゲル」となっており、クリスチャンとして首相の座に就いたものではなかった。
さて、石破は慶應義塾大学に進学する直前の18歳時、母・和子が通っていた地元の日本基督教団鳥取教会で洗礼を受けた。敬虔なクリスチャンである石破だが、一方でいささか“毛色”が変わっており、さまざまなエピソードを持つ異色首相として知られている。
経歴を追って、そのあたりを“発掘”してみよう。
石破の父親の石破二朗は、建設省次官を経て鳥取県知事に就任、その後、田中角栄の後押しを受けて参院議員となり、自治大臣を務めている。
その長男である石破茂は、鳥取大学附属小・中学校から慶應義塾高校、慶應義塾大学法学部を経て三井銀行(当時)に就職したが、敬愛していた田中のすすめで政界入りを決意した。石破は田中派(木曜クラブ)の事務員として“修行”したあと、昭和61(1986)年の衆院選で初当選を果たしている。
【歴代総理とっておきの話】アーカイブ
キャンディーズから三島由紀夫まで…石破茂の“知的偏愛”
その後、小泉(純一郎)政権下で防衛庁長官として初入閣、以後、農水、地方創生の両大臣、自民党幹事長などを経て、この間、自民党総裁選に4度出馬して敗れ、ようやく“栄冠”を手にしたことになる。
以下、石破をよく知る複数の元政治部記者が、明かしてくれた“秘話”をまとめてみた。
「石破は子供の頃から真面目で、よく勉強もして、とにかく正論一本で押しまくるタイプだった。中学生で風紀委員をやったときは、あまりに理詰めで迫るので、友達が皆、離れていってしまったそうだ」
「政治家としては有数の読書家で、石破の口癖は『本を読まないとディベート力がつかないし、相手に論破されてしまう』でした。小説は三島由紀夫が大好きで、長編4部作『豊饒の海』をはじめ、『美徳のよろめき』『午後の曳航』などを絶賛していた。首相になる前は議員宿舎の共有スペースで、よく一人で本を読んでいる姿が目撃されていました」
「人物は謙虚、嘘をつかないのはいいが、とにかくクソ真面目すぎる。ちょっと橋龍(橋本龍太郎元首相)に似て、おかしいと思うと相手をネチネチと徹底的に追及する癖がある。本人に悪気はないのだが、これでは人が寄って来ない」
「酒をいくら飲んでも顔色を変えず、常に理路整然とやるから、同席者から見ると面白味がない。ために、とくに若い議員からは敬遠されてしまう。かつて結成した自らの派閥『水月会』が、子分が集まらず空中分解したゆえんでもある」
また、石破のオタクぶりはよく知られているところだが、とりわけ歌手、タレントのキャンディーズや河合奈保子には滅法詳しく、彼女らの楽曲はおおむね頭に入っているという。政治家としては、なんとも“異色”の存在である。
さらに、戦車、軍艦、鉄道に関しても相当なマニアで、これも知る人ぞ知るところ。石破自身もまったくそれを否定していない。
